2010年2月
私は今、札幌の聖ミカエル幼稚園のチャプレンでもあります。毎週月曜日には礼拝堂で幼稚園礼拝があり、先日は私が司式、李司祭がお話しでした。李先生が園児たちに、「君たちが成長するためには何が必要?」と聞くと、子どもたちは、ちゃんとご飯を食べるとか、早く寝るなどと答えます。「それだけじゃみんなは大きくなれないよ。君たちのお母さんがみんなが健康に、いい子に育つようにとお祈りしながら、みんなのご飯やお弁当を毎日一生懸命作っているってこと知っているかい。お父さんたちも、みんなことをとっても大事に思って、毎日働いているんだよ。お母さんもお父さんも君たちを愛しているんだよ。それだけじゃないよ。神様の愛もあるんだよ。太陽の光も、必要な雨も、神様は私たちのためにいつもお与えになるんだ。神様は私たちをどのような時も、優しく愛していてくださるんだよ。そのような愛があるから君たちは大きくなれるんだね。」と言う李先生のお話を園児たちは神妙に聞いていました。
お話の終わりに李司祭が「みんなが大きくなるのはちゃんと食べて、早く寝て、あと何が必要なんだっけ?」と聞くと、これら四歳、五歳の子どもたちが声を揃えて、「あーい(愛)」と答えました。私は可笑しくて声を出して笑ってしまいました。何てすごい幼稚園なんだろうと。でも、お家に帰って彼らが「大きくなるには愛が必要だ」と言ったら親たちはどんな顔をするでしょうか。
2010年2月 主教 ナタナエル 植松 誠
2010年1月
昨年の暮れ、ある信徒のお葬式で、民間の葬儀場に行きました。「僧侶控室」という部屋に入ると、そこの職員がコーヒーとケーキを運んでくれました。聞きますと、キリスト教の牧師さんにはケーキと紅茶またはコーヒー、お坊さんにはお茶と和菓子ということになっているとのことでした。同じことは札幌市内の葬儀場でもありました。それが極めて当然であるかのように思っている葬儀場の職員に敢えて説明をすることはしませんでしたが、キリスト教がそのように思われていることに驚いてしまいました。
しかしもしかするとそれが日本においてはいまだに一般的なキリスト教理解なのかなとの思いを持ちました。ケーキを好きなお坊さんもいるし和菓子を好きな牧師もいますが、世間は教会を「ケーキ」としてしか見ていないとしたら、それは私たちが教会の宣教を見直す良い出発点になるのではないでしょうか。
宣教一五〇年を昨年祝いました。その礼拝で説教されたアメリカ聖公会のジェファーツ・ショリ総裁主教は、日本という特異な地で、私たちがどのような宣教をするのかを問いかけ、またカンタベリー大主教は静養のキリスト教をそのまま宣べ伝えるのではなく、日本に合った福音宣教の大事さを「裸足での宣教」という言葉で呼びかけました。
宣教の主役は信徒だと私は昨年の教区会告辞で述べました。日本社会でクリスチャンとして生きるとはどのようなことかを今年は考えてみませんか。
2010年1月 主教 ナタナエル 植松 誠

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