日本聖公会北海道教区 震災支援室

北海道教区震災支援室は与えられた働きを終了しております。
これまで発信してきたコンテンツは、資料として掲載します。

10.5

震災支援室ニュース 最終号

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 撤収ボランティアが行われ、撤収作業を終えた鈴子町の釜石被災者支援センターは、その働きに幕を下ろしました。北海道教区の東日本大震災支援室も、9月末をもって一区切りとなります。今回は最終号として、撤収ボランティアの様子と、支援室長からのごあいさつをお送りします。

【支援センター撤収ボランティア】
 9月24日(火)~28日(土)(現地での活動は25日(水)~27日(金))の日程で、釜石被災者支援センターの撤収ボランティアが派遣されました。今回作業を行ってくださったのは、大町司祭・吉野執事、札幌キリスト教会より齋藤静信さん、帯広聖公会より尾関敏明さん、小貫耕喜さん、高橋献一さん、斉数貴さんの7名です。
 2階にあった大きな冷蔵庫や布団類はともかく、どこにこれだけのものがしまってあったのかと思うほどのものが出てきました。多くの方が寝泊りした場所も空になり、少しの寂しさのある撤収ボランティアとなりました。
 今回参加された方の中から帯広聖公会の高橋献一さんに原稿をいただいていますので掲載いたします。
【ボランティアに参加して】 帯広聖公会 高橋献一
 私達は、今回札幌班3名、帯広班4名の陣容にて大町司祭の指揮のもと、主に釜石被災者支援センターの閉所作業を行って来ました。幸い天候にも恵まれ25日午後から27日午後までビッシリと動き回りましたが、自然と若くて馬力のある人は荷物の移動運搬専従となり、そうで無い人は掃除、後片付け、整理整頓を担う事となり、チームワークが良かったことも重なり当初のスケジュールを前倒しにして進めておりました。しかしながら、やっておかねばならない事は次から次と出て来るもので、結局は帰りの時間ギリギリまで動き回る事となりました。でも最後に目いっぱい奉仕でき満足しています。
一方、過去2年間のセンターの支援活動を基礎とした地元ボランティアを主体とした活動が既に始動しており頼もしく感じました。私自身、今後も自分の出来得る形で被災地支援を続けて行きたいと思っています。
【皆様の今までの深き祈りと貴い愛のわざを心より感謝申し上げます。~支援室の活動終了にあたって~】支援室長 司祭 飯野正行
 3・11の10日後すぐに仙台に先遣隊が派遣され4日間の活動を終え、帰道2週間後の4月7日に、1か月ごとの滞在の形での釜石への聖職派遣がスタートいたしました。5月には「いっしょに歩こうプロジェクト」がスタートし、その年の夏に「釜石被災者支援センター」が与えられ、センター長としての海老原祐治氏の着任により、その働きは大きく前進いたしました。2年間という活動計画の故に、「プロジェクト」は今年の5月に終了し、8月にスタートした「センター」は今年の8月にその活動を終了。9月いっぱいで残務整理・撤収作業を行い完了いたしました。そして、この9月末をもって「日本聖公会北海道教区東日本大震災支援室」の活動を終了することが、教区主教・常置委員会のもとに確認されました。今までの皆様の祈りと愛の労苦を心より感謝申し上げます。「支援室」が終了いたしましたので「支援室長」としての任務も終了した事になります。また、この「支援室ニュース」も51号までお届けいたしましたが、今回の「最終号」をもって終了となります。
 この2年間の海老原氏の存在と働きには、とても大きなものがあります。被災地におられる痛みを負う方々にとって希望の灯でした。彼は引き続き釜石に留まり、この間の働きを通して誕生した市民ボランティアグループの方々と共に活動を続けられます。心からの感謝と主のみ守りと祝福を祈ります。
 北海道教区としての今までの釜石での支援活動は終了となりますが、教区として「災害対策」のための「窓口」的部署を設け、その担当を、教区事務所主事(現在横山明光司祭)が担当する事も確認されています。
 支援室のメンバーにも感謝いたします。大町司祭・吉野執事・山岡さん・尾崎さんを始め、ご奉仕いただいた一人ひとりに感謝いたします。吉野執事はこの支援室ニュースをウルトラ・ハイスピードで打ち続けてくださいました。(近日中にメンバーの感謝会を持ちたいと願っておりますので、メンバーの方々はよろしくお願いします)
 また、今まで釜石に行ってくださったすべての聖職・信徒の方々にも感謝いたします。また、聖職派遣にしても、信徒の皆様のボランティアにしても、教会やご家庭が祈りの内に送り出してくださったからこそ出来たご奉仕でありました。また、直接、釜石へは行く事が出来なかったけれども、その深い愛の祈りで支えてくださった数えきれない方々がおられるのであって、その方々にも、心より感謝申し上げます。
  私(飯野)は、もう「室長」ではございませんが、報告文書等の関係もあり、教区会まではご奉仕させていただきますので、よろしくお願いいたします。
  ありがとうございました。


9.21

震災支援室ニュースNo.51

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釜石支援センターも閉所となり、今月中に撤収することになりました。今回は、閉所礼拝の様子や、8月に派遣聖職として行かれた松井先生からの報告をお届けいたします。

【支援センター閉所礼拝】                支援室長 司祭 飯野正行
 8月30日(金)午後5時より、釜石被災者支援センターの閉所式・感謝礼拝が行われました。40名ほどが集い、大町司祭司会により、飯野司祭司式、李チャンヒ司祭の祈り、大友司祭説教により礼拝が行われ、とても心にしみる礼拝でした。「センターの働きは終るが、釜石の人々の負った経験は失われない。私たちの祈りも、出来る形での支援も終わらない」と大友司祭は語られました。礼拝後の感謝会では海老原センター長が「センターは、
支援活動は、僕の命。命である以上は終らない。今後も祈りとご協力をお願いしたい」と語られ、来賓の紹介と数名の方々にスピーチをいただきました。午後5時からの閉所式であり、暗くもなって来ますので仕方の無い事かも知れませんが、いつもセンターに来てくださっていた被災された方々に一言でもスピーチをお願いしたかったと心痛めております。
センターの片付けはもう始まっています。今後の活動の上にも、主のお導きと祝福がありますように。
【釜石にて】                            司祭 松井新世
 釜石ベースが締まる直前のボランティアと言うことでの感想を、と言うことですが、まず、二日目に驚いたのは、何とも言えない穏やかな雰囲気でした。海老原室長によるとここ半年で、と言うことでしたが、市民ボランティアの成熟がそう感じさせたのでした。来訪者を自然にもてなし、配慮し合う。明日の、一週間の当番も彼女たちが自主的決めていたのです。私も心穏やかに過ごすことができました。とはいうものの、少し町を歩くと、それほど変わってはいないことに落ち込むのです。いくつかの仮設プログラムの中で聞こえてくるのは、(ベースの中でのお話も)、仮設の中での人間関係や噂、そして今後のこと。ちょうど私の滞在時は、「復興住宅」の案内と予約の時期でありました。より良い場所を、より広い空間を、人であれば当然願うべきものですが、そうであればある程悩むのです。仮設での人間関係に悩む人もいれば、一方で、この間に生まれた暖かな関係もあります。「一緒に入りたいね」と互いに約束し合う言葉に、胸熱くならない者がいるでしょうか。「不謹慎だから」といいながら、「こういうことになって(→震災)良かった。」と口ごもりながら話す方も。でも、年齢などの考慮はあるそうですが、基本は抽選です。希望の所には入れなければ、別の場所での新生活となります。しかも、5~6年後の完成だそうです。ため息も聞こえてきます。少し落ち着いてきたのか、人によってでしょうが、心を開けてきた方が増えてきた印象がありました。
 過日、あるボランティアさんが言いました。「聖公会の皆さんには大変お世話になりました。みなさんにお伝えください、」と。同時に「これまでベースで迷惑をかけてきたことを恥ずかしく思う」とも。
 最後の二日間は、これまで行けなかった会津若松と福島にまいりました(夜中に釜石に戻り翌朝釜石を出ました)。同労者に会う目的でしたが、本当のところは、涙を見せずに、帰りたかったからではなかったかと今、自身に問いかけるのです。
 二年間の釜石での歩みは終わり、とは言いたくない自分がいます。復活したイエスさまにマグダラのマリアが「ラボニ」と、しがみつこうとする時、主は「私にすがりつくのはよしなさい。」とおっしゃたように。第2のステージがやってきたと思いたいのです。そこで新しい復活の主との歩みを、釜石の皆さんと共に始めたいのです。神に感謝
【支援センター閉所ボランティア派遣】
8月一杯でセンター業務は停止をしましたが、まだ支援センターをお返しする作業が残っています。同時に新体制への移行作業も行うため、ボランティアを9月24日(火)~28日(土)の日程で派遣します。大町司祭を含め7名がお手伝いしてくださいます。一昨年8月より始まった被災者支援センターの最後を飾る働きとなります。どうぞお祈りのうちにおぼえていただければ幸いです。
【釜石での活動】
8月17日 さて本日は仙台基督教会チームが一日ボランティア。昨年12月に聖歌隊でミニコンサートを開いてくださった方々です。午前は野田方面の仮設で「レース編み」の配布。大館聖パウロ教会と東京のマーガレット教会のコラボ作品です。しかし午前はバットタイミング。なんと我らが花巻東の試合と重なっていたのです。それの延長戦にもつれ込む大熱戦。とあるボランティアは「いまそれどこではない」と怒られたそうです。 午後は小佐野あたりの仮設で「レース編み」を持っての戸別訪問。こちらでは花巻東勝利の余韻もあったのか笑顔あふれる訪問活動になりました。仙台基督チームの赤坂さん・中村さん・尾崎さん・田中さん、アツい中ご苦労様でした。グッドジョブです。 さて私は明日の盆踊り大会の準備などもあって忙しい一日。それの暑さ・寒さ・面倒臭いことに弱い軟弱人間の本領発揮でダラダラと仕事をした感じ。
8月22日 昨日は上中島仮設夕涼み会。我々は焼きそばとかき氷を出店。地元ボランティア8名と松井先生がご奉仕くださいました。最後にごま油で仕上げる我らが焼きそばは大好評。約150食を提供しました。みなさんご苦労様でした。 私は夕涼み会の総合司会を仰せつかり、みなさんのお支えを得て無事に大役を果たすことができました。感謝。 今回のイベントで素晴らしかったのは上中仮設のお祭りを甲子町C・D仮設自治会がサポートしたことです。この様な仮設間に協働はあまり例がなく、画期的でした。とても素晴らしいことでした。みなさんで準備した上中島音頭も大成功。みんなで作った音頭をみんなで作ったハッピを着て踊った様子はNHKの全国ニュースでも流れたようです。私の若き日の高倉健のような浴衣姿も映っているらしいです。
8月27日 本日午前は二階にこもり事務仕事。このところ来客が多く滞っていたお仕事を一挙にやっつけました。夏のお祭りの収支もばっちり。 松井先生は一日センター。Hさんとのコンビです。集まった常連さんと深いい話しをしていました。松井先生は大人気です。話しの端々に「神様は」とか、「イエスさまは」とかという話しが入るのですが、それが自然に受け入れられているのがすごいのです。
8月30日 本日午前は名古屋学院大チームのまとめふりかえりや、あいさつ回り、来客対応など。いろいろあってスケジュール変更をして名古屋学院大チームにはご迷惑をかけました。ごめんなさい。 午後は名古屋学院チーム二名が松倉のエアロビの会、3名と大友先生は甲子町の仮設でタコ焼きパーティー。エアロビを超ハードだったそうです。タコ焼きは大好評。どちらも楽しいプログラムになりました。とっても気の利く名古屋学院チームは今回もとてもグッドなボランティアを展開しました。流石です。またね。二回目のぴろぴろこと廣田さん・シガニ―こと三浦君・ギブアップこと岡田君・鉄八郎こと太田君、ご苦労様でした。忘れないでください。 さて本日17時より釜石被災者支援センターの閉所礼拝が行われました。ともに祈ってくださった各仮設やセンター常連のみなさま、地元ボランティアのみなさま、関係団体のみなさま、ありがとうございました。なんと約40名の方がお集まりくださいました。礼拝を行ってくださった飯野司祭・大友司祭・李司祭・大町司祭に感謝申し上げます。 センターは2年と1か月の歴史に幕をおろします。お配りしている挨拶文を下記に掲載しますのでお読みください。
釜石被災者支援センターは私の命でした。至らない部分もたくさんありましたが、心血を注いでみなさまと育て上げた命です。私が命と言うからには、キリスト者である私が命と言うのであれば、それは永遠です。センターは終わりますが、そこで培われた様々な関係は永遠です。そして新たな命を生み出し、それを育んでゆきます。私はそのことを信じています。
 多くの方々の祈りとご支援に支えていただきました。ただただ感謝申し上げます。どうかこれまで同様にお支えください。最後にいつも暖かく迎え入れてくださった釜石のみなさまに感謝いたします。また今後もこれまで同様によろしくお願い致します。

8.24

震災支援室ニュースNo.50

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いよいよ釜石被災者支援センターが今月一杯にて閉所になります。今までの様々なお支えに感謝いたします。

【今までの祈りと愛のわざを心より感謝いたします】支援室長 司祭 飯野正行
 2011年3月11日、東日本大震災という大変な事がこの日本に起こり、特に東北は大きな打撃を受けました。私たちは皆恐怖に立ち竦み、同時に、何か出来る事をすぐに始めようと動き始めました。教区はすぐに先遣隊を仙台へ派遣し、安否確認や事務所機能の構築、今後の対策等の検討をし、その後の4月7日には1か月ごとの居住の形で釜石(当時は神愛幼児学園2階に居住)に聖職を派遣いたしました。避難所や奥地を訪ね、支援物資をお届けし、そのような中で少しずつ瓦礫の山が低くなり、歩道が見えるようになり、お店も開き始め、仮設住宅が建ち始め、夏には支援センターが与えられ、具体的な活動が始まりました。センター長として着任された海老原祐治氏を通して、その働きは大きく広がり、深められて参りました。仮設に物資をお届けし、談話室では様々なプログラムが設けられました。でも、海老原氏が大切にされたのは、何かを「する」というよりも寧ろ「存在と存在のふれあい・関わり」であったのではないだろうかと感じています。センターの存在そのものが、そのことを語っているように思います。仮設などからセンターにやって来られて、衣類その他を選び、その後でお茶を飲みながら、いろいろと語って行かれます。たわいない話であったり、重いお話であったり、耳を傾けているこちら側が顔を赤らめるようなドキドキするような冗談であったりするのですが、お話されて「ああ来て良かった」と言って帰られるのです。釜石と言う被災地において、このセンターの存在はとても重要なものであったと思います。
 2年間という計画の故に、この8月でセンターは閉所となり、北海道教区としての釜石での支援活動は一区切りする事になるのですが、被災地支援はこれからも必要とされているわけで、これからも祈り続け、出来る形での活動が続けられることを願うものです。
 尚、今月30日(金)午後5時から、センターにて「閉所式・感謝礼拝」が行われます。今までの主のすべての恵みと、皆様の愛を覚えて、祈りの輪に加わって参ります。
尚、9月いっぱいでセンターの残務整理となるのですが、皆様にお手伝いいただくことが具体的になりましたなら、すぐにお伝えいたします。主にあって。
【閉所礼拝・代祷のお願い】
8月30日17時より、センターにて閉所礼拝が行われ、教区より支援室長の飯野司祭と、大町司祭が出席されます。また、大友司祭もお働きくださいます。どうぞ各教会でも、お祈りのうちに覚えてください。また、以下の代祷をお用いいただければ幸いです。
「釜石の地で続けられてきた2年余りにわたる被災者支援の働きに、北海道教区をはじめ、多くの方々が参加できた事を感謝します。そして、今尚、悲しみと困難を抱えて過ごしておられる方々のために、希望と勇気があたえられるように祈ります。また釜石で支援の働きを継続しておられる方々の上に励ましがありますように、そして、釜石神愛教会、神愛幼児学園の上に神様の豊かな祝福がありますように。」

8.3

震災支援室ニュースNo.49

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前回の発行より大分間が空いてしまいましたが、支援室ニュース発行の運びとなりました。今月一杯で、支援室としての活動も一区切りとなります。あと少しですが、どうぞお付き合いください。

【松井司祭・大友司祭 釜石派遣】
釜石での北海道教区の活動も後わずかとなりましたが、この8月に松井司祭と大友司祭が釜石での活動をされることになりました。松井司祭が19日(月)~30日(金)、大友司祭が28日(水)~31日(土)の予定で釜石に行かれます。道中の安全と、現地での働きのため、ご加祷ください。
【釜石被災者支援センター閉所のお知らせ】
一昨年の8月11日より活動してきました釜石被災者支援センターが、いよいよ今月一杯で閉所となります。5月のいっしょに歩こうプロジェクトの終了から3ヶ月後になりましたが、北海道教区の釜石での活動も一区切りとなります。9月一杯は引継ぎ等、残務整理を行います。みなさまのお支えによって、ここまで続けてくることができました。本当にありがとうございました。また、それに伴い、北海道教区から釜石などへ行く際に補助が出ておりましたが、こちらも終了となります。10月以降は、各地の新しい体制との確認となります。
【釜石での活動】 ※海老原さん発信のブログより抜粋
7月28日お祭りです。夏祭りです。サッカー場仮設の大夏祭りなのです。サッカー場仮設自治会・カリタス釜石・銀河ネット(大学生のボランティア)、そして我々聖公会釜石被災者支援センターの4団体協働のイベントです。カリタス釜石さんとの入念な準備が実り、雨の上がり、いいお祭りになりました。子どもコーナーを銀河ネットさんが受け持ち、タコ焼き・焼きそば・綿あめ・かき氷をカリタス釜石と我々が混成チームで担い、それに自治会の若いお母さん方も加わって祭りを盛り上げました。後半の落語会も盛況、また盛り上げてくださったチンどん屋さんも大活躍でした。みなさんご苦労様でした。また我らがジモボラ軍団の宮さん・山崎さん・村田さん・沢田さん・センターをお守りくださったHさん、ご苦労様でした。
7月30日本日は野田方面の仮設で「オリジナルかるたを作る会」を開催。我がセンター自慢のプログラムです。住民の方々と若いボランティアチームを組んでかるたを作ります。コミュニケーションが深まり、名作が沢山生まれるのです。そして互いに共同作業を通して支え合っていることを実感することができるのです。今日も双方がとても楽しかったようです。互いに元気をもらい合えるプログラムになりました。

5.25

震災支援室ニュースNo.48

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5月も終わりに近づき、北海道にも遅かった春がやってきました。いっしょに歩こうプロジェクトが始まってからちょうど2年が経過し、一つの区切りの時が近づいています。しかし、釜石の支援は8月まで続きます。みなさまのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

【室長より】
 いつも支援室を覚え、祈りとご協力を賜りますことを感謝申し上げます。ご存知のように「いっしょに歩こう!プロジェクト」は震災直後より2年の計画で始まり、この5月いっぱいで終結を迎えます。形や規模を変えて続けられる活動もあるようですが、「プロジェクト」としては今月で閉じられます。活動報告・会計報告・今後の事などのご報告がプロジェクトのほうより出されると思われますが、釜石ベースの場合は、2年前の夏より開始された支援センターの関係もあり、8月いっぱいまでは、今まで通りの支援活動がなされます。その後の詳細は、近日中にお伝えいたします。
釜石での活動はご存知のように、月の前半を東京教区が中心に、後半を北海道教区が中心に行われてまいりましたが、その働きは今まで通り必要とされております。それで、改めてお願いをいたしますが、6月の後半(1~2週間)・7月の後半(1~2週間)・8月の後半(1~2週間)に釜石に行ってくださる聖職の方々、また、各月の後半(日数はともかくとして)支援活動に行ってくださる信徒の方々、「この期間なら行ける」とお知らせください。祈りとご理解とご協力をお願いいたします。
【釜石での活動】 ※海老原さん発信のブログより抜粋
5月15日 晴れ。午後から曇りの予報を吹き飛ばして晴れていた一日。 本日午前は月末のスポットプログラムの準備で仮設めぐり。著しく苦戦。行くところ行くところピッタシ埋まっている状況。困った。でも何とかします。 お昼からは常連さんの昼食会。お弁当をとってみんなでご飯を食べる楽しい会です。みなさんちょっぴり持ち寄りで、美味しいお漬物と懐かしい味の牛乳かんが食卓を彩りました。牛乳かんがお袋の味で美味しかったのであります。 午後からはみんなでイチゴ大福作り。これは金曜日のレギュラープログラムの練習も兼ねてのイチゴ大福作りでしたが、笑いの止まらない楽しい時間になりました。器用不器用が現れるイチゴ大福作り。出来栄えは売り物レベルとサルの脳みそに分かれますが、それぞれ美味しくいただきました。女子会なのに何の抵抗もなくまじれる私は性差を超越した存在に進化したのか、男子としての魅力を認められていないのか論議がまたれるところであります。 センターは一日沢田さん。ご苦労さまでした。いつも餅つき後に杵を直してくださる上中島のSさん、ありがとうございます。来月もう一回ありそうなのでよろしく。

4.27

震災支援室ニュースNo.47

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 前回の支援室ニュース発行から1ヶ月あまりが経過してしまいましたことをお詫び申し上げます。釜石神愛幼児学園では新園舎も完成し、新しい年度の保育が始まっています。釜石の町では、ようやく復興住宅の完成の目処がつき、入居募集も始まっています。あと少しとなりましたが、これからも釜石への支援をよろしくお願いします。

【内海司祭 釜石勤務】
 3月1日~12日の日程で、内海司祭が釜石での勤務を行ってくださいました。お働きに感謝いたします。
【神愛幼児学園 引越しボランティア】
 3月21日~26日(現地は22日~25日)の日程で、橋本慶恭さん(札幌キリスト教会)大町包さん(聖マーガレット教会)齋藤晃さん(旭川聖マルコ教会)と吉野執事の4名が釜石神愛幼児学園の新園舎への引越しのお手伝いをしてくださいました。かなりの大荷物でしたが、若い力を発揮して、あっという間に一部屋にぎっしり詰まっていた荷物が新園舎に運び込まれました。また、滞在中だった東北教区の渡部聖職候補生や、神愛教会の松田さんもご奉仕くださいました。ありがとうございました。青年たちは、その後仮設住宅を訪問して旧交を温めるなど、よい交わりの時を持つことができたようです。受け入れてくださった方々、またこの機会を与えてくださった方々に心より感謝を申し上げます。
【神愛幼児学園入園式】
 4月5日、新園舎において神愛幼児学園の入園式が行われました。北海道教区からは、支援室長の飯野正行司祭が出席されました。そのことについて原稿をいただきましたので掲載いたします。
【入園式にあたって】 室長 司祭 飯野正行
 今月の5日(金)に釜石神愛幼児学園の平成25年度入園式が行われました。3月30日(土)に18名が卒園。新年度は、中途入園児を含め35名の入園で、総勢87名のスタートです。
 新園舎はとても立派なものです。耐震強度の強いもので、壁の色や外光の取り入れの工夫などにより、とても明るい造りとなっています。L字型の真ん中に事務室(職員室)があり、そこからどちらにも行ける形になっています。ホールの天井は高く、とても解放感があり音も響きます。
 入園式は第1部が入園礼拝、第2部がお祝い会で、お祝い会では新園舎誕生と共に作られた園歌『釜石の天使』が園児たちにより歌われ、作曲家の宮崎歩氏も出席されており、「泣きそうになりました」と語っておられました。6日(土)は市の関係の方々、業者、地域の方々、他園の方々、園医、理事の方々などをお招きしての園舎落成記念式で、この時にも『釜石の天使』は歌われ、子供たちの輝きに皆が感動、大きな拍手が起こりました。
 釜石被災者支援センター長の海老原祐治氏は神愛の園児たちのことを度々「釜石の天使(釜天)」と呼んでおられますが、園歌『釜石の天使』はそこからインスピレーションを受けて、私が作詞させていただいたものです。この『釜石の天使』を通して、希望のムーブメントが起こることを願っています。
 今後の釜石での支援活動はどのようになって行くのでしょうか。詳細はまだ見えない部分もあるのですが、どのようになるにせよ、希望の灯をともし続けて行きたいと心から願っているのです。どうぞ引き続きお祈りください。そして、お力をお貸しいただきたいと心より願っております。

釜天歌詞.jpg

【釜石での活動】 ※海老原さん発信のブログより抜粋
3月26日 さて本日は3ミッションの一日。まずは社協のコミュニティーイベント応援。今回も箱崎です。座布団の追加などもあり、私が行く予定でしたが、同時刻に東京から女子聖学院高校の先生が夏のボランティアキャンプの打ち合わせで来釜。夏に向けて実り多い話し合いができました。また昨日到着した函館の中村さんの視察も行ってきました。箱崎は松田さんが行ってくれました。いつもありがとうございます。午後は毎年恒例の桑畑書店さんの教科書販売の応援。釜石商工に教科書を運んできました。日曜日も幼児学園引っ越しで腰を使いましたが、今日の教科書もヘビー。ギック・リーが心配です。沢田さん・渡部さんご苦労様でした。センターは午前が渡部&沢田さんのコンビ。午後が中村さん。今日も華やかな春のようなセンターでした。お疲れ様です。
4月4日 春です。どうやら本格的な春のようです。釜石では3月の終わりにどか雪が降って、其れを境に春がやってくるのがパターンなのですが、今年はその冬の終わりを告げるどか雪がふりませんでした。人によっては「これから降るのよ」と言いますが、もう降らないだろうというのが大勢です。さてどうなるのでしょうか。そろそろタイヤ交換も考えなければいけない時期ですね。本日も一人です。常連さんに囲まれて楽しくデスクワーク。ちょっ間を縫って外用事をすましたりしながら一日が過ぎてゆきました。今日行った主な仕事は、ニュースレターの原稿の第一稿作成、スポットプログラムのポスター原稿作成、帳簿の作成、ボランティアの調整、月末の他団体の視察のコーディネート、などなど。案外まじめにお仕事しました。当然だろう。
 4月14日 日曜日です。主日です。牧師さんが来ています。聖餐式であります。本日はセンター2階で食卓を囲んでの聖餐式。司式・説教は橋本司祭さま。サーバーが入江さん。一花さんと高橋園長が日課を読んで、私が代祷という礼拝。橋本先生のお説教がこころに残っています。癒しについてお話しくださったのですが、癒しとは病気が完全に治ったり、問題がきれいに解決されたりすることではなく、主がすべてを肯定してくださることであるというお話しでした。これは我々の支援センターの働きに相通じるものです。我々も痛手や課題を抱えた被災者との関わりのなかで、まずその人を肯定する作業を行っているからです。その人をそっくりそのまま肯定するとは、会えて嬉しいこと、また来てくれて嬉しいことを伝えることです。あなたに会えて嬉しいですよ、というメッセージを伝わるように伝えることがその人を肯定する第一歩だと思うのであります。橋本先生いいお話しありがとうございました。
 4月16日 忙しい一日でした。午前はトリプルブッキング。まず幼児学園の子供礼拝。それから大畑の南の方の仮設で「匂い袋作りを楽しむ会」こちらの仮設では談話室プログラムははじめて。それに某仮設の自治会役員会。まず園に橋本先生と入江さんを送り届け、三光教会チームを大畑へ。冒頭の挨拶を済ませてから自治会の会合へ。会合が終わってから今度は逆回りでみなさんをお迎えに。なんとか想定の時間内で終わりました。バタバタと走り回る私の目を釜石の桜、人呼んで釜石桜・略称は釜桜・が慰めてくれます。 午後も中妻町あたりの仮設で「匂い袋」こちらには橋本先生と入江さんも加わっていただきました。私はやはり開会の発声をして木曜日から始まる「歌っこ」の準備で3つの仮設へ。匂い袋作りはどこでも大好評。人気の香りはラベンダー。ついでヒノキでそれからローズマリーといったところです。


3.2

震災支援室ニュース№.46

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 大斎節に入り、イースターまであと1ヶ月となりました。釜石神愛幼児学園も完成に近づき、そろそろ卒園式の季節です。支援活動は今後も継続してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

【松井司祭 釜石勤務】
 2月19日~28日の日程で、松井司祭が釜石での勤務を行ってくださいました。今回のお働きについての文章をいただいていますので掲載いたします。
【釜石ボランティア感想】 司祭 グレゴリー 松井新世
 実質六日間の(移動四日間)の釜石ボランティアでした。
前回に比べ、仮設訪問が多かった気が致します。座布団配布の中で、あるお年を召した方が手を合わせて涙を流しながら感謝の言葉を口にされていたことは心打たれました。一方、残念だったのは、ある仮設で裏リーダーとおぼしき方が、明日到着する支援物資を特定の人たちだけに配布しようとしていた(私の前で案内を!)ことに人間の本性を垣間見た気が致しました。
名古屋学院大学学生ボランティア5名との共同生活・働きも楽しいものでした。朝の祈りの他、一日最後の分かち合いも委ねられていましたが、「皮膚感覚」という言葉を共有しました。鷲田清一の言葉を借用するなら「噛み切れない言葉・思い」と言うことにも関係してきますが、現地で感じた言葉に出来ないものを大切にしようと分かち合いました。
一方で出会いはストレスでもあります。津波で飲み込まれた現地に立ち、死者を感じる、ベースで、仮設で被災者に向き合う。学生達はへたへたになっていました。私も二日目の午後は少し体調を崩してしまいました。でも、それだけの現場なのですね。訪問の中で、カトリックの「カリタス」の方々と出会い、お話を伺うことが出来ました。常に10人近くのスタッフがいること、少なくとも10年はこの働きを続けていくことを決めている思いを知り、驚きました。
けれども、聖公会の働きもまた凄いと言うことを申し添えておきましょう。この度はほぼ毎日コーディネーター海老原さんと同伴していましたが、子供からお年を召した方まで、彼は信頼されていました。名が通っているがゆえに、それ故のストレス、健康が心配なのは私だけでしょうか。
最後に、皆さま方のお祈りとお支えの元に、沢山の出会いと学びを得ました。その中で、やはり思いましたのは、この働きに数や効率などと言う言葉は無縁だということです。
一人の方と向き合い、共に喜び共に涙を流すこの働き、と言うより「時」は少なくともわたしたちの手で消してはならないものなのでしょう。
【内海司祭 釜石勤務】
 松井司祭に引き続き、内海司祭が釜石でお働きくださいます。3月1日から12日の日程まで釜石で勤務されます。震災から2年を迎える時期にあたります。お働きのため、お祈りください。



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