日本聖公会北海道教区 震災支援室

2.2

支援室ニュース No.45

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 早いもので、2013年になってから1ヶ月が経過しようとしております。釜石での活動もまだまだ続いております。新しい神愛幼児学園は順調に完成に近づいているようです。新しい園舎での保育が楽しみです。2月は松井司祭の釜石での勤務が予定されております。お祈りください。

【いっしょに歩こうプロジェクトDVD 2012年冬号 完成】
 昨年から話は聞いていて、いつ完成することかと思ったのですが、いっしょに歩こうプロジェクトのDVDが完成、各教会に配布されています。20分程度のもので、釜石での活動も紹介されています。教会で、また個人でもどうぞご覧になってください。
【松井司祭 釜石勤務】
 2月19日~28日の日程で、松井司祭が釜石での勤務を行います。道中の上に、また釜石での活動の上に主のみ守りが豊かにありますよう、お祈りください。
【釜石での活動】 ※海老原さん発信のブログより抜粋
 1月10日 さて年末年始は様々な事件が起きました。ミラ号灯油まみれ事件もそうですが、悲喜こもごもの出来事が襲いかかってくるのです。今日はその中でも大いに笑える「モラート事件」の真相に迫りたいと思います。来訪者にお名前と連絡先や住所を記入していただくノートがあります。ある常連さんが友人を連れてこられました。その友人の方がお名前を書かないでお帰りになったので、私がノートに「もう一人」と記入しました。それをある方が後になって見て、「モラートさんって誰だっけ、外人さんかな」と言うのであります。それを聞いていた人たちはみんなポカン。外人なんてきたかな・・・。「モラートて何?」といった感じです。それでみんなで来訪者ノートを覗き込むと、そこには確かに「モラート」との記載が。書いた私にも「モラート」と読めるのです。いったい何者だモラートとは。その日センター業務を行ったボランティアに確認をしても該当する人物はいません。謎が深まり、センターを恐怖が包んだ瞬間、私はそれが自分の筆跡だと気がつき、「もう一人」と書いたのだと思い出しました。思い切って告白すると、安堵のため息とゆるい笑いと軽い怒りがセンターを満たしていきました。私の字の汚さをののしる者、モラートと決め込んだ人を責めるもの、いろいろな意見がでましたが、私の字が悪かったのであります。以上が「モラート事件」でした。チャンチャン。
1月21日 さて本日午前は箱崎という所でお仕事。社協さんのプログラムの助っ人です。裏方に徹して協力団体のお手伝いも重要なお仕事。ちょっと離れた仮設から人をお運びするのが主な仕事です。笑い声の止まない楽しそうなよいプログラムでした。ちなみに一緒にお仕事した方が幼児学園の某先生の義理のお姉さんであることが発覚。世間の狭い釜石なのです。恐ろしい。さらに恐ろしいのは、お正月の一族団らんの席で何故か「海老原」という単語が出て、「海老原さん私も知ってる」「私は一緒に仕事するわよ」みたいな話しになったそうですが、何故急に「海老原」というワードが出てくるのか不思議です。

1.12

支援室ニュース No.44

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2013年、あけましておめでとうございます。本年もますます変わらぬご支援をお願い申し上げます。震災から2回目の正月を迎え、各被災地ともに、少しずつ前に進みつつあります。復興住宅の着工が始まった地域もあります。これからまた、様々な生活の変化が起こってくるのでしょう。みなさまも、どうぞこれからもお力をお貸しください。

【釜石年越しの旅 Part2】              
 2012年12月29日~2013年1月4日の日程で、釜石年越しの旅Part2が行われました。吉野執事の引率で3名が参加、餅つきや戸別訪問などの活動を行いました。昨年とは違い、お正月の落ち着きを取り戻した釜石ですが、親戚などを訪ねたり、親戚などが訪ねてきたりする方がいる一方で、仮設住宅で誰も訪ねてくる人もおらず、一人で過ごされている方もいらっしゃり、日常では見えない差が、この季節に浮き彫りになってきているのを感じてきました。今回参加者の中から小樽聖公会の石田みどりさんと紋別聖マリヤ教会の内竹康雄さんより原稿をいただいていますので掲載いたします。
【ボランティアに参加してみて】 小樽聖公会 石田みどり
 私は、去年の12月29日から約1週間行った釜石年越しの旅に参加しました。吉野先生を中心に集まった四名のメンバーで29日夕方に札幌キリスト教会を出発しました。他の方は釜石ボランティア経験者でしたが、私はボランティア初参加だったため、現在の被災地がどのようになっているのかがわかりませんでした。私の場合、テレビでしか状態を確認できなかったので、生で見ると、少しだけ抵抗がありました。
 フェリーで青森に上陸し、釜石に向かっていると、ところどころ家が無く、荒地になっており、生で見た私は、テレビで見るより凄く、言葉が出なく唖然とするばかりでした。
 釜石に到着し、二日目・三日目の午後には支援センターの方々と街の偵察に出ました。偵察に向かった場所は上陸したところとは違うところでした。私が一番びっくりしたことは、道路だけが修復しており、街灯・住宅などが一切なく、復興が進んでいる街、進んでいない街の差が大きく違うことでした。同じ県なのになぜここまで差が大きいのかがわかりません。私はとても悲しくなってしまいました。仮設住宅訪問の際、住んでいる方とは初めて会う方だったので、凄く緊張してしまいました。住民の方々はとても明るかったので、住民の方との楽しい時間を過ごすことができました。
 今回、このボランティアに参加してみて、まだまだ復興には時間がかかりますが、少しずつ住民の方々が明るく生活を送っており、とても安心しました。またボランティアに参加し、今回できなかったことを行ってみたいです。
【釜石の支援活動の感想】 紋別聖マリヤ教会 内竹康雄
 今回、12/29~1/4日程のツアーに参加いたしました。昨年も同日程で参加し、通算では3回目の釜石になります。一年ぶりに被災状況を視察しましたが、陸前高田市は瓦礫こそきれいに取り除かれているようでしたが、市街地は「時が止まった街」ままでした。
 半壊した市役所も取り壊しが決定しているみたいですが、この震災を風化させないためにも保存を願いたいところです。しかし、被災者の方の意見は「早く忘れたい」「風化されたくない」とさまざまです。高台になった土地にプレハブの仮店舗がかなり増え、少しずつ経済が回復しているのが感じ、亡くなった方のためにも強く生きるという生活が感じられました。
 上中島仮設では、年始に2軒ほど訪問させていただきました。海老原センター長によると、今年の年末年始は震災以前の年越しに戻りつつあるとのことでしたが、それでも、一人で年越しをしなければならない年配の独居の方の心情は計り知れないものがあると痛感いたしました。また、「空室」の文字が目立ち、新しい住居先が決まり、新しい生活を始めている「復興」と同時に、いまだ目途が立たない「苛立ち」が入り混じる環境下であると感じました。
 甲子(かっし)B仮設では、昨年同様、餅つき大会を実施いたしました。住民の方は、私の事を覚えてくださっておりお互い再会に喜びあふれました。昨年は、室内にてもちの仕上げを担当していていましたが、今年は、ほとんど外で搗いていました。そして、風は強く、冷たかった。仕上がったもちを味わいながらのお茶っこ。昨年秋に結成された住民有志合唱団による歌の披露と楽しい時を過ごしました。
 「いっしょに歩こうプロジェクト」が終了後、どういう形で活動できるか未定ではありますが、来年もまた、再会し餅つきをしたいというのが私の願いです。
【釜石での活動】 ※海老原さん発信のブログより抜粋
12月25日 今日も子供クリスマス会があった一日。本日は昭和園仮設でした。カリタスジャパンさんとのコラボレーション。アットホームないいクリスマス会になりました。でもサンタの顔がばれていたのがちょっと残念。海老原サンタは登場まで待てなくて、子供たちとがっつり遊んでしまっていたのです。 午後はいよいよ上中島大仮設のお掃除隊がはじまりました。今日のお掃除隊は佐藤さんと志村さんのコンビ。仕事の早いコンビでした。予定を上回る件数をこなしてくださり、後が楽になりました。 私はお掃除隊が仕事をしている間に箱崎白浜という場所まで行ってきました。こちらもお掃除の依頼を受けているのですが、下見をかねて訪問してきました。古い付き合いの方なのですが、久しぶりの対面。いろいろとお話ししてきました。
12月29日 本日は餅つきシリーズの中休みの一日。でもゆるい日にはなりません。今日は一挙に上中島お掃除隊。残り件数を終わらせなければなりません。それに午後からは上中島大餅つきの準備作業もあります。私は年明けの餅つき大会2か所で打ち合わせがあったり、あいさつ回りがあったりといった具合。また急遽市原チャプレンを代表に「栗林仮設解凍隊」が編成され、救援活動を展開する事態になりました。大変です。
1月2日 のんびりしたお正月。大きなお店の初売りも始まり、少しずつ賑わいの出て来た釜石です。長期滞在の吉松ご夫妻が本日はお休み。 午前中、北海道チームは上中島仮設団地で戸別訪問。2軒のお宅を訪問しました。仮設団地でも、誰かが訪ねてきたり、訪ねる相手がいる方もいますが、一方でどこにも行かずに家におられる方もいます。“昨日はお正月だから誰も来ないし、今日誰か来なかったら寂しくて爆発しそうだわ”というのは、今日お訪ねしたD橋さん談。じっくりお話ししてきました。
1月6日 本日は大曾根仮設での餅つき大会。大曾根は我々聖公会が震災後1月経つ前から関わっていた本郷地区の仮設です。この仮設は敷地内に囲炉裏があります。去年も餅つきと並行してバーベキューをしましたが、今年ももちろんやりました。ほとんど餅つきが前座のような状態。どこからともなく現れる食材。イカ・野菜・肉・焼きそば・しまいにはリンゴまで焼きはじめました。これがおいしいのです。帰省中の子供や孫もたくさん参加して楽しい餅つきになりました。松田さん・山崎さん・村田さん・恩田さん、そして大曾根のみなさんご苦労さまでした。また来年もやりたいですね。 今日は滞在ボランティアがゼロでした。すべて地元ボランティアで対処したイベントです。地元力強化は課題でしたが、我々もだいぶ力をつけました。皆さんに感謝。さて午後は来週のプログラムの準備。あちこち駆け回ってきました。ただ明日のお料理プログラムの食材が手に入りません。見つかるまで帰れません。
1月7日 我らが支援車ミラ号。私のパートナーであり、苦楽を共にした親友であり、唯一の理解者であるミラ号。そのミラ号が大変な事になっています。事件の始まりは年末でした。後部のラゲッチスペースの灯油がこぼれたのであります。しかも少量とはいえない量です。その責任は私にあります。簡単に説明すれば、車内が灯油臭いのであります。それも臭いというレベルをかなり逸脱した状態であります。まず5分経つと目がしばしばしてきます。10分すると頭が痛くなってきて、15分目には軽い吐き気をもよおします。そして20分が経過するとなんだか楽しくなってきます。25分が過ぎると歌を唄ったりして、30分後にはぐったりして気を失いそうになり、換気します。せっかく温まった車内の空気が一挙に冷えてしまうのです。困りました。どんな強烈な消臭剤もかなわないのであります。

12.22

支援室ニュース No.43

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いよいよクリスマス。そして2012年も終わり、新しい年がやってきます。今年一年、様々な形でみなさんがお力をお貸しくださったこと、感謝いたします。年末年始のツアーを初め、年明けには新しい神愛幼児学園の完成と共に、引越しのお手伝いなどが予想されています。どうぞ、これからもご支援くださりますよう、お願いいたします。

【今年も1年ありがとうございました】 支援室長 司祭 フランシスコ 飯野正行
 この年もあわただしく過ぎようとしています。この1年の、被災者・被災地・釜石支援センター・教区支援室の働きのための、皆様の祈りと具体的支援を心より感謝申し上げます。被災地、殊に釜石のためのこの1年間の支援活動を振り返り、皆様の祈りの手と愛の労苦により支えられました事を覚え、心より感謝しております。
 振り返りますと、この年(先月までですが)、10名の聖職が派遣され、39名のボランティアが支援活動をされました。GFSの皆様の数多くのご奉仕もいただいております。支援室ニュースは40号まで発行され、4月8日付で中間報告を1500部発行、ボランティア・ハンドブックも発行いたしました。支援のための第2次募金も実施いたしました。釜石支援センター長の海老原祐治氏も道北4教会合同研修会での講演や札幌キリスト教会の大斎講話のご奉仕もされ、釜石での支援活動の報告がなされています。
 「いっしょに歩こうプロジェクト」は震災より2年間の予定で始められましたが、来春5月以降の支援活動をどのような形で進めて行く事が出来るのか、祈りつつ今具体的な検討が進められています。新年の1月17日(木)に仙台オフィスで「釜石ベースの今後についての検討協議会」が行われます。主の導きが豊かにあるように祈っているところです。
今後とも被災地支援活動と支援室の働きを覚え、祈りとご協力をお願いいたします。
【釜石での活動】 ※海老原さん発信のブログより抜粋
12月16日本日は盛りだくさんの日曜日でした。まず待ちに待った神愛幼児学園のクリスマス会。釜天たちが懸命に練習している姿を見ている私には特別な日なのです。ゆり組さんの聖劇は素晴らしかったのです。みんな頑張った。ほかの組の釜天たちも頑張っていました。お友達のみんなご苦労様。私は途中で中抜けして松倉B仮設へ。こちらでも一代イベントが敢行されていたのです。練習を重ねていた「甲子(松倉)Bなでしこ合唱団」の初お披露目コンサート。自治会主催のイベントのオープニングアクトを飾ったのです。こちらもばっちし。4曲披露しましたが、本番に強いなでしこ合唱団は見事に歌い上げました。ただ若干問題だったのは、指揮者です。ときどきズレマス。また歌い出しの合図も間違っていました。指揮者が誰だったかは言いません。想像にお任せします。ただ彼は小学校低学年の頃、一時期指揮者に憧れていたようです。海老原さんにもそのような時期があったんですね。松倉Bのイベントは自治会とネクスト釜石というグループが行いました。釜石でご商売をしている人たちです。釜石産の魚介類で作ったレトルトのブイヤベースや御饅頭などがふるまわれましたが、大変美味しかったです。ご苦労様でした。

12.8

支援室ニュース No.42

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12月に入り、寒さもますます厳しくなっています。道内各教会でも雪の便りが聞かれる季節となりました。ふいの大雪もありましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。これからも釜石の支援は続きます。どうぞみなさまのお力をお貸しくださいますよう、お願いいたします。

【吉野執事 釜石勤務】 
 吉野執事は11月16日(金)~21日(水)の日程で、釜石で勤務されました。仮設の談話室プログラムや座布団配布・センター業務・幼児学園での収穫感謝礼拝などに出席されました。
釜石にて  執事 サムエル 吉野暁生
 今回の釜石は7月以来4ヶ月ぶりの訪問。ここに足を踏み入れるのはベースの完成前を含めて7回目になる。ツアーの引率が多く、単独で腰をすえての勤務は昨年の9月以来。あの頃と比べても釜石は大きく変わっていたと思います。久しぶりに上中島仮設団地を歩いていると、以前とは違って空室が目に付きました。アパートやマンションなどに入居できた人、親戚などを頼っていった人など、様々な理由で仮設を出て行く人が増えているのだそう。しかし、復興住宅の建設は目処が立たず、出て行くことのできない人たちがまだまだ取り残されている。仮設住宅内で引越しも可能だそうだが、上中島仮設は新日鉄への土地の返還が決まっているようで、新たな入居者を受け入れておらず、空室だけが増えていっている状態だと聞いた。被災した人たちの中でも格差が広がっているということを、ひしひしと感じています。
 初めのうちはボランティアの人たちも多く来ていて、それなりにコミュニケーションを取ることができていました。けれども震災から1年9ヶ月が経過し、ボランティアの人たちも足が遠のき、自然と引きこもり気味になってしまう、そんなお年よりも多い。「また絶対に来るから!」という言葉を信じて待ち続ける人を見ながら、何気ない一言一言の重みを感じています。その時「また来る」と思ったことに嘘はないのでしょう。けれども日常の中でのあれこれがあり、様々な状況があり、おいそれと来ることができないこともあるのでしょう。それでもなお「また来ます」という言葉が多くの人の励みになっている、その事実を噛み締めながら何度でも足を運びたい、と願った。
 年末が近づき、お掃除ボランティア、年越しツアーの募集を始めました。何度も行った人も是非「あの時話した誰かに会うために」もう一度・二度と釜石に足を運んでいただければ、と願っています。
【お掃除ボランティア募集】
 仮設住宅には高齢の方も多く、掃除をしたくてもままならない状態の方が多くいらっしゃいます。そこで、12月10日以降の日程(2~3日)で、仮設のお掃除ボランティアを募集いたします。クリスマスや年末で忙しい時期とは思いますが、ぜひご協力をお願いします。
【年越しツアー募集】
 昨年も行いましたが、年末年始を釜石で過ごすツアーを募集します。12月29日~1月4日の日程で大掃除や仮設での餅つき会などが働きの中心です。少し変わったお正月を釜石で過ごしてみませんか。詳しくは号外をご覧ください。どうぞよろしくお願いします。

号外11.24

支援室ニュース号外

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 昨年行われた釜石年越しの旅は、餅つきなどの様々なプログラムを行い、お正月でなければ味わえない多くの喜びをもたらしてくれました。今年もまた、仮設での年越し・正月プログラムを中心に行う予定です。どなたでもできるプログラムですので、ぜひ皆さんご参加ください。

日時 
2012年12月29日(土)夜~2012年1月4日(金)朝
引率 
吉野暁生執事(北見聖ヤコブ教会)
費用 
10,000円(食費は自己負担です)
募集定員 
3~4名
日程
12月29日(土)24:00  
苫小牧発 川崎汽船フェリー
12月30日(日)07:30  
八戸着・朝食
10:30  
八戸聖ルカ教会で礼拝に出席
12月30日(日)18:00頃 
釜石支援センター着
周辺の視察・神愛幼児学園へ挨拶等
12月31日(月)     
ボランティア
1月 1日(火)      
ボランティア 夜:主イエス命名の日礼拝
1月 2日(水)     
ボランティア
1月 3日(木)     
午前・ボランティア 15:00ごろ釜石出発
22:00  
八戸発 川崎汽船フェリー
1月 4日(水)07:00  
苫小牧着・解散

※ 釜石支援センターにて年末、年始を過ごすプログラムです。仮設住宅でのお正月イベントなどのお手伝いが中心となります。
※ 食費は自己負担となります。尚、釜石支援センターでは朝食150円、夕食350円にて提供しています。(清算は現地にて各自行ってください)
※ フェリーの船室は“2等船室”(いわゆる雑魚寝)を想定した費用になっています。船室等をご利用の場合の差額は自己負担です。
※ 申し込み締め切りを12月20日(木)とさせていただきます。

★申し込み方法
・添付の「ボランティア登録カード」に記入の上、FAXまたはメールにて教区事務所まで申し込んでください。(FAX:011-736-8377 メール:hokkaido@nskk.org)
・ 「ボランティア登録カード」の“備考”欄に「年越しの旅希望」と記入してください。
・ ツアーは定員に達し次第締め切ります。(初めて行かれる方を優先する場合があります。ご容赦ください)
★持物等
・着替え、シーツ、枕カバーをご用意ください。服が汚れる作業を行う場合もあります。汚れてもかまわない服をご用意ください。また、結構室内が寒いです。防寒着のご用意を。
・仮設住宅の団地は広いです。歩きやすい靴をご用意ください。
・詳細は北海道教区震災支援室までお問い合わせください。


11.24

支援室ニュースNo.41

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11月も終わりが近づき、釜石でも雪がちらつくなど冬も本格化しています。2012年もあと少し。今年も様々なことがありました。釜石での支援活動もまだまだ続いています。どうぞこれからもご支援をお願いいたします。

【旭川頌栄保育園の釜石神愛幼児学園支援】
保育士の産休で、保育士が足りない状態の神愛幼児学園に、旭川頌栄保育園から保育士を研修としてヘルプに送ってくださっています。約2週間の日程で2名の保育士が釜石入りし、神愛幼児学園でお手伝いをしてくださいました。10月22日~11月2日が平出美紀保育士、11月5日~16日が林崎那奈保育士。現在は19日~30日までの予定で再び平出保育士が勤務してくださっています。お手伝いくださった先生がた、お疲れ様でした。また、自分のところも人数のやりくりが大変な中、保育士派遣で協力してくださった旭川頌栄保育園と矢部園長に感謝いたします。
【吉野執事 釜石勤務】
吉野執事は11月16日(金)~21日(水)の日程で、釜石で勤務されました。仮設の談話室プログラムや座布団配布・センター業務・幼児学園での収穫感謝礼拝などに出席されました。ありがとうございました。
【北海道教区GFS 釜石訪問】
北海道教区のGFSが11月4日(日)~9日(金)の日程で、釜石を訪問されました。参加されたのは、向井哲子さん・植松三千代さん・沖田京子さん・大町出さんの4名です。釜石では戸別訪問や仮設プログラムなどの活動をされました。ありがとうございました。その中で大町出さんから感想をいただいていますので、掲載いたします。
【釜石の感想】札幌キリスト教会  大町出
今回、11月5日から8日までの4日間のあいだ釜石被災者支援センターにて奉仕を行ってきました。二回目の釜石でしたが、前回は園の引っ越し作業だったため、被災者と話をする機会はあまりありませんでした。今回はセンター業務が中心だったためお茶っこをしながら来訪者の方々の様々なお話を聞くことが出来ました。天気のことや、北海道の話、食べ物の話、他愛のない話も多くしましたが、やはり心に残ったのは震災に関しての話でした。それはニュースや本では紹介されない話、与えられない衝撃、とても大きな悲しみでした。生の声、言い換えれば非常に生生しい話。それらは北海道にいては決して味わうことのできない体験でした。その方は過去の話をして吐き出すことにより少しは楽になっているのかもしれません、もしくはあえて僕のために話をしてくれたのかもしれません。どちらか僕はわかりませんが、その方は1年半前の話をしながら涙を流していました。僕も許されるなら泣きたかった、そのような話でした。しかし、はたして僕が泣くことは許されるのでしょうか。失礼なのではないかという思いがあり僕は涙を堪えていました。僕が感じている悲しみの何十倍何百倍もの悲しみをその方は乗り越えてきた、乗り越えようとしている。その人の前で僕は泣くことが出来ませんでした。うなずくことしか出来ない。その悲しみは完全に共有することはできません。しかしその人を思いながら奉仕することは可能だと僕は思います。漠然とした気持ちで被災地を思うではなく、人を思い、顔が浮かんでくる。私にとっての震災が変わりました。
これから釜石は寒い冬を迎えます。実感としては暖房をガンガン焚く北海道より釜石は寒く感じました。仮設なら尚更です。仮設住まいの方のことを思うと心が痛みます。被災者の寒さ、辛さが一瞬でも和らぐような働きが今後できたらと思います。
【お掃除ボランティア募集】
2012年ももうすぐ終わり。大掃除の季節がやってきました。しかし、仮設住宅には高齢の方も多く、掃除をしたくてもままならない状態の方が多くいらっしゃいます。そこで、12月10日以降の日程(2~3日)で、仮設のお掃除ボランティアを募集いたします。クリスマスや年末で忙しい時期とは思いますが、ぜひご協力をお願いします。
【年越しツアー募集】
昨年も行いましたが、年末年始を釜石で過ごすツアーを募集します。12月29日~1月4日の日程で大掃除や仮設での餅つき会などが働きの中心です。少し変わったお正月を釜石で過ごしてみませんか。詳しくは号外をご覧ください。どうぞよろしくお願いします。
【緊急!! 支援品について】
みなさんのご協力のおかげで、冬物衣料に関しては現在、十分な量を確保することができました。ご協力に感謝いたします。申し訳ありませんが、冬物衣料は送らないでください。その他の手芸用品や毛糸などは引き続き募集しております。また、戸別訪問用にクッキーやケーキ、じゃがいもなどの野菜等を送っていただければ幸いです。ただ、袋詰めなどの作業をしている人的な余裕がありませんので、パウンドケーキなどを送られる際は、切り分けて一切れずつ(一つずつ)ラッピングした形(乾燥剤等も入れてください)で送っていただけると幸いです。尚、支援室ブログで言及されていました物資の件は、北海道教区の各教会とは関係がないようです。ご安心ください。また、支援品送付に関してのルールを今一度確認くださいますよう、お願いいたします。
【釜石での働き】※ 震災支援室ブログ(海老原さん発信)より抜粋
11月10日
本日は神愛幼児学園の行事に参加してきました。一番年長さんの釜天であるゆり組さんのお別れ遠足です。お別れはちょっと早い気もしますが、そのような行事なのです。今回のお別れ遠足は盛岡にある盛岡動物公園。いわゆる動物園です。釜天たちが喜んだのは言うまでもありませんが、私も久しぶりの動物園でウキウキワクワク。本当は釜天たちを押しのけて動物を見たかったのですが、そこは一応大人ですから後ろの方でちらちらと。一番びっくりしたのはイヌワシの大きさです。釜天たちと同じくらいでした。それから釜天たちはキリンに餌やりを体験。驚くのはキリンの舌の長さです。どれだけ塩タンができるのでしょうか。朝釜石を出る時は雨でしたが、盛岡は晴れ間ものぞくお天気。紅葉がきれいでした。いい遠足になってよかったです。
センターは昨日から宮古から来てくださった恩田さんが担当。昨日は24人と人が多かったセンターでしたが、今日も盛況でした。恩田さん、ご苦労様です。
11月11日
本日は朝7時前に東京からの海宝さん・吉田さんをお迎えするところからスタート。午前はやることが沢山ありました。さてどれからはじめようかと考えていると電話が一本。とある仮設からです。ミシンが調子悪いとのこと。ほぼパーフェクトに近い知識と技量を併せ持つ私なのですが、ミシンは苦手です。今日仮設のみなさんで使いたいとのことなので、到着早々の吉田さんをお連れして直しに。さすが吉田さん。修理完了です。
そんなことで始まった一日でしたが、午前中にやるべきことは、クリーンセンターにゴミの納入、来週のプログラムの打ち合わせで某仮設訪問、そのプログラムのポスター作製、ポスターの印刷などで幼児学園へ、とある被災者にお渡しする荷物の準備、午後の体操プログラムに準備と買い物、午後到着の八戸聖ルカ教会チーム受け入れの準備、などなど。すべて終わったのが1時半。お昼を食べる時間なんて当然ありません。そんな日に限って私の胃袋はとんかつをリクエストしてヤマナイのです。胃から突き上げてくるとんかつ欲求と闘いながら、結局とんかつに似た雰囲気を醸し出すカレーパンを車のなかでむしゃむしゃ。運転しながら携帯をいじると捕まる時代ですから、運転中にカレーパンを食べると捕まるのだろうかと考えながらの食事です。
11月21日
朝8時に120枚の座布団を積み込み、小野夫人を乗せて出発。積み込み作業を行ってくださった大館の佐々木ご夫妻、ありがとうございました。ギィック・リーなので大変助かりました。
小野さんを連れて11時半に大畑の仮設の交流があるお方を訪問。それから高橋園長と会食。そしていよいよ小佐野で配布作業でした。昨日も小佐野でリース作りをしましたが、そこでアナウンスしたおかげで自分で取りにこられる方も多く、スムーズな作業になりました。吉野先生・高橋園長・沢田さん・そして小野さん、寒い中ご苦労様でした。とてもいい交流ができました。
午後4時前の列車で吉野先生と小野さんが離釜。寂しくなります。お疲れがでないように祈っています。
センターは午前が吉野先生と沢田さん。午後は座布団配布の間だけ山崎さんが担ってくださいました。その後はまた沢田さん。お疲れさまです。

11.10

支援室ニュースNo.40

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11月に入り、寒さが深まってきました。2012年もあと少し。今年も様々なことがありました。釜石での支援活動もまだまだ続いています。どうぞこれからもご支援をお願いいたします。

【大友司祭 釜石勤務】
9月21日~25日の日程(現地)で、大友司祭が北海道教区の派遣聖職として釜石勤務をしてくださいました。大友司祭は勤務の中で福島県を訪問されるなど、精力的にお働きくださいました。その大友司祭から原稿をいただきましたので、掲載します。

【福島の被災地訪問】 司祭 ジェローム大友正幸
今回は、釜石の支援センターでの奉仕は二度目です。昨年の奉仕は、所謂センター業務と、仮設住宅の訪問でしたが、私の奉仕は主としてチャプレンシーのあるところへ、被災者や、ボランテア活動を行う人々の支えになればと願い、関わって来ました。今回の訪問も、短期間ではありますがその趣旨は同じです。釜石では神愛教会、神愛幼児園の新築起工式にも立ち会い、主日礼拝、幼児園での誕生祝福、聖餐式なども行って来ました。期間中2日間時間をいただき、地震津波と共に、原発による放射能に苦しむ福島県を訪れ、越山健三司祭の案内で、各地を視察、被災者や支援活動を行う人々にも逢ってまいりました。1日目は、家内の美奈子と共に、郡山に向かい、おりしも福島での支援の後訪れていた武藤健一司祭も同道、市内を車で案内していただきました。越山司祭の手には2台の放射能計数機が用意され、ここはホットスポットで、現在0,6マイクロシーベルト等、車を止めては窓を開け、放射能を測定しておりました。確かに、教会の周辺は放射能値が高く、除染のため切り落とされた木の株周辺は基準値をはるかに超えておりました。郡山の人口およそ34万人とのこと、すでに4~5万の人が転出、実際に他の場所に避難している人も多く、今は22~3万人位ではないかとの話、街は人影もなく、福島市に匹敵するこの中堅都市も原発の不安にさらされた街でした。翌日はやはり越山司祭の案内で、武藤司祭と我々夫婦が載り、郡山から北上、宮城県に入り、白石を経て、日本聖公会で唯一人的犠牲者を出した新地の磯山聖ヨハネ教会の周辺を訪れました。一瞬に襲ってきた津波の恐ろしさを改めて知らされ、町ごと流された無残な姿、放置されたままの倒れた墓石が哀れでした。新地の日本聖公会の支援センターを訪れ、その後、南相馬のちょうど福島原発20Kのボーダーにある、六角支援隊(市民の手による支援施設で、聖公会の婦人会の一部や、有志が関わっている)に責任者の大留隆雄さんを訪ねしました。大留さんは私とほぼ同年代で、北海道の士幌出身の方です。震災当時の生々しい状況以上に、現在の被災者の様子、特に仮設住宅で希望もなく毎日を送る人々の姿、本当に心痛む者がありました。つい先日も82歳の婦人が、将来の希望も見えず自死したとのこと、痛々しい限りです。20K圏内はやっと立ち入りは許されたものの、今だ住む事が出来ず、家も、畑も津波にあったまま、しかも放射能の汚染地域なのです。何時自分の家に家族と共に住む事が出来るか全く見通しが立ちません。土地を離れて行った人々、家族の生き残った人々などなどいろいろ希望の無い確執があり、人と人の絆も崩れつつある様子でした。これは岩手では感じられない事で、それもこれも、原発が招いた人災である事を思う時、これを後世に残す事は、後々の子どもたちを守るためにも許されない事と強く感じました。さらに私たちは入域が許された、10K圏ぎりぎりまで車を進めパトカーに遮られて帰路につきました。昼食は南相馬の20K圏のすぐ外側にある食堂でしたが、麺類も野菜も産地のものとのこと、何か試されている思いで、うどんに野菜天を載せ頂きました。さて、南相馬を出て、浪江、飯館など、ゴーストタウンとなった街々を通過した福島に向かいましたが、途中の放射線量は依然として高く、そんな町の田にも、畑にも、売る事も食する事も出来ない作物が育てられている姿、なんとも痛々しいばかりです。ただ、道端の花や草がやたらに大きく育っている様子、何か放射線による異常現象かとさえ思わされました。料理研究家の辰巳芳子も云っておりますが、地震と津波だけなら回復も可能で、復興も進むでしょうが、原発は、いのちを損ない、回復の希望が無い災害です。本当にその事を強く強く感じます。今回の福島訪問は短時間でしたが、北海道教区も、釜石だけでなく、この福島が抱えた、原発の苦しみに、今後の各地の原発の廃炉も含め関わっていかなければと、強く思います。
【北海道教区GFS 釜石訪問】
 北海道教区のGFSが11月4日(日)~9日(金)の日程で、釜石を訪問されました。参加されたのは、向井哲子さん・植松三千代さん・沖田京子さん・大町出さんの4名です。釜石では戸別訪問や仮設プログラムなどの活動をされました。ありがとうございました。
【吉野執事 釜石勤務】
11月の派遣教役者として、北見聖ヤコブ教会の吉野執事が11月16日(金)~21日(水)の日程で、釜石で勤務を行います。釜石でのよき働きをお祈りします。
【支援品要請・冬物衣料】
 秋から急激に冬になり、センターでは冬物衣料が不足気味です。震災から一年半が経過しましたが、まだまだセンターでは冬物衣料などの物資が求められています。また、あわせて手芸用の針や糸、毛糸なども求められています。どうぞみなさんのご協力をお願いいたします。

【釜石での働き】        ※ 震災支援室ブログ(海老原さん発信)より抜粋
10月31日
もう10月も終わりです。あっという間の10月でした。月日の経つのがやたらと早く感じるのは歳のせいでしょうか。積み残しの仕事がたまっていきます。
本日は10時より神愛幼児学園で子供礼拝。その前に二ヶ所の仮設で打ち合わせ。あわだたしい朝でした。今日はハロウィンという事もあって礼拝のお話しは南瓜。当然給食も南瓜。おやつも南瓜。釜天たちは意外に南瓜好きなようです。私は子供の頃は甘い南瓜が嫌いでした。その甘味が美味しく感じられるようになったのは大人になってからです。ときどき煮つけを自分でも作ります。一番おいしいのは南瓜のポタージュですね。
礼拝後には小白浜方面の仮設へ。ちょっとセンターによって一仕事したら園のお昼に間に合いませんでした。それから園庭で釜天たちとひと遊び。今日はブランコで遊びました。意外に難しいのは、ブランコのこぎ方です。どのように説明すればいいのかわかりません。困りました。
11月3日
本日は戸別訪問デイ。午前は松倉の仮設に行ってきました。お届けしてきたのは靴下カバーと記念タオルとピンクッションの三点セット。靴下カバーは昨年に岩見沢温もり届け隊が製作してくださったのとは別ルートで届けられたものです。寒くなってきたので大好評でした。ピンクッションは三光教会でお作りくださった物です。こちらも喜ばれていました。山田さん・宮崎さんご苦労様でした。また午前のセンター当番だった村井さん、お疲れさまでした。
11月5日
今日は残念な出来事がありました。物資の送り方にはルールがあります。いろいろと細かいルールもありますが、多少のことは目をつむります。最低限守っていただきたいのは送る前に事前連絡をすることです。連絡してこちらの指示に従ってください。今日は予告なしに20箱以上の荷物が送られてきました。私にとってはゆかりの深い教会なので、あえて言いますが、大変迷惑です。センターを知っている方ならおわかりになると思いますが、置き場もなければ、整理する人手もありません。みなさまのお気持ちは大変ありがたいのですが、どうかご配慮願えれば幸いです。くれぐれもよろしくお願いします。
さて忙しくてイライラしっぱなし(自分で車の鍵をなくすトラブルも含めて)の一日でしたが、最後にハッピーが。夕方到着した北海道組の植松さんが私の大好物である「マルちゃんやっきっぺ」を差し入れてくださいました。ゆうじ感激。
11月8日
午後一で札幌チームが離釜。センターは私一人に。寂しい思いをしていると、地元ボランティアのYさん登場。センター当番をお願いしました。私はそのスキに園に借りたものを返しに。
午後のことですが、電話がかかってきました。今年の8月に一度だけ訪問させていただいた仮設の方でした。お配りしたチラシを見てお電話をしたとのことです。お困りごとがあるとの相談でしたが、なんとかお役にたつことができました。ときどきこのような電話があります。知人に紹介されたとか、チラシをもらったとか、前から一度訪ねてみたかったとかいろいろなケースがありますが、初めて来る方がまだまだいます。そして初期段階の緊急支援的なニーズもまだ多く存在しています。まだまだ幅広い支援活動が求められているのです。応えていけるセンターでありたいですね。


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