2019年2月

 教区会館の庭も一面真っ白。私が最初に北海道で冬を迎えた二二年前に比べると積雪量はずいぶんと減りました。それでも屋根から落ちる雪も加わって庭は正に小さな雪原です。スズメやシジュウカラなど、この時期は餌がないようで、今金の教会で鳥用にいただいてきた青米などを目当てに、早朝から餌台に近い木の枝にとまって待っています。
 そのような庭の、ちょっとした雪原で、時々、あれっ?・・・と思うものを見つけます。足跡です。猫・・、犬・・、もしかしてキツネ・・? 猫の姿も犬の姿も普段はほとんど見ることはありません。でも確かに朝になるとしばしば雪の上に足跡がついているのです。それもその日によって足跡が違います。ペアで歩いた足跡、時には、何か争ったような跡が残っていることもあります。
 雪があることで、全く想像もつかなかった事実があったことがわかり、ちょっとびっくり、でもなんとなくわくわくします。大雪になって道路が一人通るのがやっとという獣道になったときは、すれ違う人との一瞬の出会いもあります。お互いに道を譲りあったり、その時に一言声を掛け合ったり。「すみません、ありがとうございます」という一言がどれほどその一日を爽やかにすることか。飛行機の欠航、電車の運休や遅延、高速道路の閉鎖、いろいろ困ることもありますし、何をするにもどこへ行くにも時間がかかり、思い通りにいかないこと、この上なし。それでも、私はこの北海道という美しい雪国が大好きなのです。それはきっと、思い通りにならないこの気候に振り回されながらも、それ故に、黙々と生活を繰り返してこられた人々のおおらかさに魅せられたからではないかと思います。

主教 ナタナエル 植松 誠

2019年1月

 新年おめでとうございます。この一年、私たちの前に何が待ち構えているか、期待もあり、また不安もあります。
 昨年もいろいろなことがありました。嬉しいこともありましたが、悲しいことも辛いこともたくさんありました。北海道胆振東部地震のような自然災害もありました。「どうして、このような悲しいことが起こるのでしょうか。神様はなぜこのような試練を私に与えるのですか」と私は教会でもよく聞かれます。愛する人の不治の病、身内の突然の死、人からのいわれなき中傷など、そのような理不尽としか思えない状況の中で私たちの信仰はぐらついてしまうのです。信徒からこのように聞かれたとき、ほとんどの場合、私はその方を納得させられる模範解答を持っていません。ただ、私がいつも信じている聖書のみ言葉を開き、それを一緒に読みます。それは旧約聖書のエレミヤ記29章11節にあるこのようなみ言葉です。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは、平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。
 神様は私たちのために計画をお持ちです。それは今、私たちにわからなくても、納得できなくても、神さまのみ旨の中にあり、希望と平和の将来を約束するものだということ。私たちの目には不幸、災いとしか見えないことに対して、どうして・・・・と解答を詮索することをあえて止めて、神さまの私たちへのご計画の中に、それを委ねていきたいと思うのです。
 この年、皆様の上に、神さまの豊かなお導きと祝福がありますように。

主教 ナタナエル 植松 誠