2020年5月

 新型コロナウイルス感染拡大で、教会では、主日礼拝の聖餐式に皆が集まるということができません。これまで、聖餐に与かるという極めて当たり前であったことが、実はいかに大きな恵みであり祝福であったかを多くの方が思いめぐらしていることと思います。
 私が札幌キリスト教会の牧師を兼ねていた時に、経験したことを二つお話します。ある高齢者の信徒をお訪ねした時、その方は認知症でもう私のことも教会のこともお分かりにならないようでした。機嫌が悪く、早く帰れと言わんばかりの様子に、携えていった聖餐のパン(ウェハース)を出して、「今日、これを持ってきました」と言うと、途端にその方は椅子から床にひざまずき、頭を垂れて、両手を差し出しました。「主イエス・キリストのからだ」、「アーメン」の声が響きました。
 もう一人は、やはり認知症でグループホームに入っておられ、教会には長くいらしていませんでした。私の訪問をとても喜んでくださり、話がはずみました。最後、二人で聖餐式をしました。しかし、その方は聖餐式そのものをよく覚えておられず、祈りの最中にも、いろいろ話しかけてきました。いよいよ聖別したパンを出したとき、「ああ、これこれ! これをいただかないと、ダメになってしまうんですよ」と。二人で笑いながらも、私は感動していました。 
今年1月末に大阪聖三一教会の主日礼拝に行った際、一人の高齢の女性が、陪餐時、前に出てくる時から泣いていて、陪餐の「アーメン」も涙声でした。体調を崩して2か月ほど教会に来られなくて、その日が久しぶりの聖体拝領だったのです。嬉しくて嬉しくて、有難くて有難くて・・・と。
 新型コロナウイルス感染も収束する時がきます。皆で教会に集まり、共に礼拝を捧げ、主イエス・キリストの御体と御血に与かるその喜びの日を待ち望みましょう。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年4月

 「お前は(いか)るが、それは正しいことか?」。私が何か理不尽に怒っているときに、時々、妻がぽつんと独り言のように言います。これは旧約聖書のヨナ書4章に出てくる言葉です。預言者ヨナが神から、ニネベに行って人々に悔い改めを呼びかけるように命じられますが、ヨナはそれを受け入れず、船で別の地に逃れようとします。そして大荒れになった海で船から放り出され、大きな魚の腹の中で3日3晩祈り、悔い改めます。魚の腹から救い出されたヨナに再び神はニネベに行くことを命じ、ヨナはそれを受け入れ、ニネベの人々に、あと40日すればニネベの都は滅びると預言するのです。ニネベの人々はそれを聞いて大いに悔い改め、神に立ち返ります。
 悪の道から離れたニネベの人々を神はご覧になり、くだそうとした災いを思い直されます。ところがヨナは自分の宣告したことがその通りにならなかったことに腹を立て、どうか私の命を取ってください、死ぬ方がましですと神に向かって怒るのです。ニネベの人を救うことよりも、自分の行いが蔑ろにされたことが彼にとっては重大だったのです。その時の神の言葉が、「お前は怒るが、それは正しいことか?」。
 このヨナの言動には笑えないものがあります。理不尽なことが起きた時、自分の正しさを認められることなく蔑ろにされているように感じる時、私たちは怒りを溜めこみます。神に向かって、だから私は・・・と、怒ります。そしてそれが時には一番近い家族にも向かってしまうのです。
「お前は怒るが、それは正しいことか?」という言葉は、あたかも水で頭を冷やすように私たちに降りかかります。この言葉は、神の叱責ではなく、もう一度立ち返ってよく思いを巡らし、わたしの業を見なさいということではないでしょうか。
 と言いながらも、つまらないことで怒ってしまうのが人間。そんな時、本当は、「たいへんね・・・」と慰めてほしいのですが・・・。

主教 ナタナエル 植松誠

2020年3月

 今年1月25日土曜日、献体をしていた母の遺骨が戻ってくるということで、1年ぶりに家族が大阪に集まりました。
 翌日の日曜日は私にとって最初に牧師として遣わされた大阪聖三一教会に妻と娘も一緒に行きました。ここは私が主教になる前、牧師として勤めた唯一の教会です。礼拝堂と、築80年を過ぎた牧師館と会館も老朽化し、今年新しく建て直すということを聞き、どうしてももう一度訪ねたいと思っていたのでした。
 礼拝堂は古ければ古いほど、人々の祈りに満ちています。その祈りの力を全身に感じます。昔のままの礼拝堂でした。この礼拝堂で何度涙したことか、何度挫折を覚えたことか・・・。まだ小さかった私の子どもたちも信徒の方たちに育てられました。この日、懐かしい信徒のお一人おひとりのお顔を見ながら説教壇に立ち、胸がいっぱいになりました。天国に逝かれた方も多くおられます。まだ34歳だった私は、牧師としてその方たちに育てられました。初めて牧師館に住む妻にとっては、婦人会の方たちがお母さんでありお姉さんであり、とても大事にしていただきました。私が牧師館を空けることも多いので、番犬用にとどこからか仔犬ももらってきてくれ、みんなで可愛がりました。悲喜こもごも、辛いこともたくさんありましたが、人と人との交わりを神さまは祝福してくださっていると確信することに溢れていました。
 私がいた頃に青年だった人たちが、今ではその教会の中心となっている姿に感動し、子どもだった人たちのまた子どもたちが駆け回っていることに喜びを覚えました。若気の至りから、やる気満々で牧師となり、いろんな挫折を味わってだんだんと自分の限界も知らされ、その中で本当に人のつながりの温かさを教えてもらった私の原点となる教会でした。
これから造られる新しい礼拝堂、牧師館、会館にも益々祈りが込められるようにと願っています。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年2月

 3年前の教区礼拝の折、私の主教按手20周年を祝って、全員で「暗闇行くときには」(聖歌集476番)を歌ってくださいました。私の大好きな聖歌であることを多くの方がご存知でした。またこの聖歌を「北の果てなる氷の山」に代わる新たな「北海道教区の聖歌」とまでおっしゃる方もあります。
 この聖歌は、現在の聖歌集が作られる過程で、各教会に送られてきた試用聖歌の一つでした。ある日曜日、室蘭聖マタイ教会に巡回した際、礼拝の始まる前に、オーガニストのH姉が、「主教さん、今日、この聖歌を歌います」と言って持ってこられたのが、この「暗闇行くときには」でした。私にとって、一度も見たこともない聖歌。「えっ? こんな聖歌、ぼく知らないよ」と言う私に、「今日の主教さんの巡回礼拝のためにこれを歌おうと、みんなでずっと練習してきました」というH姉の言葉に、私は「そうでしたか、それでは歌いましょう」と。
 礼拝の中で、この聖歌を歌い始めました。美しい歌いやすいメロディです。でも、私は初めて歌うこの聖歌に胸がいっぱいになりました。「暗闇行くときには 主イエスが示された 輝く星を求め、光に顔向けよう」。2節は「救いのない苦しみ 行く手をふさぐとも 主のみ手に支えられ 光もとめ歩もう」。涙で私は声が出ませんでした。かつての繁栄と活気は街から消え、教会は何年も定住教役者がなく、高齢化が進んでいます。まさにその教会の現実を物語っている聖歌でした。その中で、少ない信徒たちがこの聖歌を必死に練習してきたのです。この聖歌こそが、この教会の信徒たちの叫びであり、祈りであり、また希望の源だったのです。
 それ以来、私はこの聖歌を歌い続けています。また、室蘭で初めてこの聖歌を歌った時の感動を人々に話してきました。マリアH姉は毎主日熱心にオーガニストの奉仕を務め、この1月18日、60歳で天に召されていきました。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年1月

 10数年前、聖ミカエル幼稚園のクリスマスで演じられた聖誕劇でのヨセフを思い出します。ベツレヘムに着いたマリアとヨセフですが、礼拝堂いっぱいのお客さんを前に、ヨセフは完全にあがってしまっていて、セリフも言えず、マリアとのデュエットでも、歌うのはマリア独り。すると、マリアがあきれた顔をして、並んで立つヨセフの背中を思いっきり叩いたのでした。
 私はクリスマス物語に出てくるヨセフにいつも魅かれます。ヨセフはどこまでも脇役に徹する人。でしゃばらず、黙々とあかちゃんイエスのそばにたたずむ人です。この役は目立ちたがり屋にはできません。黙って行動するヨセフ、しかし、その彼の存在感はとてつもなく大きいのです。
 許嫁(いいなずけ)のマリアが懐妊します。自分の子ではないことでヨセフは苦しみます。しかし、「ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」との天使の言葉に従います。つべこべ言わないで、信頼して委ねるのです。眠りから覚めるとすぐにマリアを妻に迎えたとあります。不安で眠れないはずの夜なのに彼は委ねてぐっすり寝たというのです。逃げずにとどまり、神の計画を信じたヨセフ。たいした信仰です。
 ヨセフは主役になることを選ばない人でした。しかし、大事なところで舞台回しの要点を押さえています。「起きて、子どもとその母親を連れてエジプトに逃げなさい。ヘロデがその子を殺そうとしている」という天使のお告げにすぐ従います。夜のしじま、月の光の中、イエスとマリアを連れて砂漠を進む保護者ヨセフがシルエットに浮かび上がります。聖書の中にヨセフのつぶやきは一つもありません。そして、エジプトではヘロデ王が死ぬまで、忍耐強く待ち続けるのです。
 福音書の冒頭にチラッと出てくるヨセフ、それは脇役に徹して黙って主のために生涯を献げる姿です。でも、その存在は私の心を捉えてやまないのです。

主教 ナタナエル 植松 誠