2024年2月

 一月一日に起こった能登半島地震で多くの方々が犠牲となり、また被災された方々が今も日々の生活もままならずに過ごされていることに心痛い思いでおります。大切な生活の場が今まとは全く変わってしまった状況を目の当たりにしながら過ごす日々に、どんなに多くの方々が落胆されていることだろうかとも思います。亡くなられた方々に神さまのみ許での永遠の安らぎが与えられることを、また困難な中で生活している方々に必要なすべてがもたらされることを祈ります。
 ことに長期化している断水によって生じている生活の困難さは、想像もつきません。厚生労働省によると一日一人あたりの家庭での生活用水はおよそ二三〇リットルだそうです。水はいのちを支え、また清潔を保ちます。医療措置にも水は必要です。非常時の節水だけでも厳しい状況であるにもかかわらず、それを一ヶ月以上もの間、自力で毎日運んだり、また確保のために奔走しなければならなかったりする体力と気力の維持は、極めて困難なことです。
 パレスチナのガザでも以前から清潔な水の不足が大きな課題になっていましたが、イスラエルの攻撃が続く中でそれはますます深刻になっています。生活のための水がないという状況は、当然ですがいのちの危険につながります。
 「主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください。」(ヨハネ四:一五b)と、どれほどの人々が世界中で今も叫んでいることでしょうか。叫び求める方々に、キリストが生きるための水と永遠のいのちに至る水とを届けようとしてくださっています。わたしたちもキリストのそのお働きに加えていただきたいと切に願います。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2024年1月

 一月一日朝、東京教区退職司祭マリア山野繁子師が、八一年のこの世でのご
生涯を終えて神様のみ許に召されました。言葉にならないどうしようもない淋しさと、同時代を同伴してくださったことへの深い感謝の念で心が一杯になり、日を追うごとにその存在の大きさを感じています。お会いしたことのない方にとっても、昨年の教区聖歌四八七番「重荷背負う人に」の作詞で馴染みがあることでしょう。
 山野繁子司祭とわたしは三五年程前からのお交わりです。すでに日本聖公会のみならずアジアのキリスト教界で活躍されていた山野先生にお会いでき、誠実な、そして知的で静かなそのご様子に感激したものでした。まだ女性の司祭志願が叶わなかった時代、わたしは「生涯待てる」と思い志願を決意し、二〇歳ほど年上の山野先生は「今、志願しないと」と思われ、不思議なことにそれぞれ同じ時期に聖職志願をすることとなります。その後痛みと悲しみ、また祈り支えられている喜びをともにし、執事按手をともに受け、法憲法規の司祭志願の要件から性別条項が削除される一九九八年の日本聖公会総会をともに傍聴し、聖職試験をともに受験し、二五年前の一月六日顕現日にともに竹田眞主教より東京教区で初めての女性としての司祭按手に与りました。その後の牧会生活においても、山野繁子司祭が常に同じ教区にいてくださったことは、わたしにとって大きな支えであり、励ましであり、学びでありました。一人では到底
乗り越えられなかった道程に尊敬する同伴者が与えられていたことは、神様からの大きな贈り物以外何ものでもありませんでした。
 山野先生、ご一緒できて本当に光栄でした。またお会いする日まで精一杯務めます。主に抱かれて安らかに憩われますように。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴