2022年11月

 人間が生きていく上で欠かせないのが食事です。北海道では、自分の生活圏と食べ物との距離が非常に近く感じられます。自分の口に入るものが同じ土地で作られ、収穫・捕獲され、さらには知っている方やそのご家族の手による物であることは、大変貴重なことであり、有り難いことです。大地や海や川からの恵みをダイレクトに受け、そこで働く方々の知恵と労働への感謝と同時に、自然の力の偉大さや厳しさへの畏敬の思いを抱き、また自然をお造りになり、雨を降らせ、陽の光を注いでくださる神様のみ業を生き生きと感じられるとは、なんと豊かなことでしょうか。
 さらに十月から十一月にかけて北海道教区の各教会でおささげされる「収穫感謝」に毎回目を見張り、驚き、感激しています。聖卓の足元に溢れるような収穫物がささげられ、自然からのありとあらゆる実りで礼拝堂が美しく彩られます。毎年欠かさず、労働と実りの大いなる喜びと感謝を主におささげし、また、今食事が十分に分かち合われていない現実に思いを馳せて祈り、行動する営みが実に生活に根ざしており、大切にされていることが伝わってきます。
 一方、それまでの自分の信仰生活で次第にこの習慣が薄れていたことに気付かされます。人間は自然の中に他の動植物とともに生かされている存在に過ぎないこと、食べ物は時間を掛けて多くの方々の手を通して目の前にようやく届けられること、それらは神様からの恵みに他ならないこと、そのような当然で大切なことを、またひとつ北海道で教えてもらっています。そして何より、北海道の食べ物は実に美味しいのです。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2022年10月

 主教按手式から5ヶ月を過ぎ、10月で主教巡回もようやく一巡いたします。皆さまの暖かいお交わりに感謝しております。
 按手式のご挨拶でお話させていただいたように、わたしたち北海道教区の大事な課題のひとつに、日本聖公会全体の福音宣教の活性化を目的とする教区再編ならびに宣教協働への取り組みがあります。
 主教選出や伝道教区の選択に関わらず、それぞれの教区は教区再編・宣教協働に取り組むこととなっており、そして昨年北海道教区は、新主教と共にこの取り組みを重要課題とすることを確認しています。
 その第一段階として、東北教区との常置委員懇談会にて今後どのようにこの課題を展開していくことができるか模索しています。また毎主日両教区の教会や働きを覚えて祈り合いながら過ごしています。
 そう容易なことではありませんし、課題も山積です。それでも2024年に
宣教150周年を迎え、その後もまだまだ続くわたしたちの信仰の旅路が神様によって強め励まされ、時代に沿った器として宣教活動に勤しめることを何より望みながら、神が出会わせてくださる新しい信仰の家族との交わりや気づきを通して、わたしたちの宣教活動が活性化される、ふさわしい道が与えられることに期待をしています。またその先の第二段階では、北関東教区・東京教区の皆さまとの東日本宣教協働区としての教区再編・宣教協働に取り組んでいくこととなります。教役者・信徒の皆さまのご意見をぜひお聞かせください。
 この歩みを現在ご一緒している東北教区では、11月3日(木)、主教選挙のための臨時教区会を開催し、大事な時を迎えようとしています。主教選出の場に聖霊の働きが満ち溢れ、主の導きが与えられますことをひたすら祈ります。どうぞ皆さまも東北教区のために共にお祈りください。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2022年9月

 ランベス会議の期間中、英国聖公会ロンドン教区サラ・マラリー主教と南インド教会ナンディヤール教区プシュパ・ラリサ主教の呼びかけで女性の主教たちの夕食会が開催され、わたしももちろん大喜びで参加して参りました。
 1998年ランベス会議は、初めて女性の主教たちが参加した会議で、当時参加した11名の女性の主教たちは、ランベス・イレブンと今でも呼ばれています。そして前回2008年ランベス会議には18名の女性の主教たちが参加し、この度2022年ランベス会議には、なんと97名もの女性の主教たちが集まったのです。このことを、女性たちが一番驚き、そして出会えたことを共に喜び、神様に感謝しました。
 食事会では三名の主教がそれぞれの教区での喜びや課題を振り返るというテーマで短いスピーチを担当し、その最初の一人としてわたしもお話をさせていただきました。最近按手された一人として、自分の按手の前後に生じた痛みの出来事や日本聖公会が未だ女性の聖職按手について違う意見や立場があることを紹介しつつ、日本聖公会は未だプロセスの只中におり、違う意見であっても共に歩む共同体でありたいと願っていること、北海道教区の方々がたまたまその人が女性であったのだと励ましてくださることなどをお話し、北海道教区や日本聖公会のために祈ってほしいとお伝えしました。
 わたしの経験や物語はそれぞれの困難を経験した主教たちの物語と響き合い、その後たくさんの主教たちが祈りと励ましの言葉を掛けてくださったことは大変感慨深く、ありがたいことでした。
 世界中の主教たちが、わたしたち北海道教区の新しい歩みのために祈ってくださっています。感謝です。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2022年8月

 今年は大事な会議が続いています。三月下旬には首座主教会議が英国ランベスパレスで、五月下旬からは二年に一度の日本聖公会第六七(定期)総会が東京で、また五月中旬には日本聖公会婦人会総会が大阪で開催されました。七月二六日から八月八日までは一四年ぶりのランベス会議が英国のカンタベリーで開催されます。いずれも日本聖公会という管区として各教区が、また教区を越えて連帯する女性たちが、またアングリカン・コミュニオンのそれぞれの管区の代表が、さらにカンタベリー大主教によって招集された全世界の主教たちが集まる「会議」です。これらの会議に共に集い、礼拝し、み言葉に聴き、この世界に遣わされている信仰共同体としての必要や使命を共有し、励まし合い、
再び散っていきます。毎年の教区会も同様に重要な会議のひとつですし、来年は一一年ぶりに日本聖公会宣教協議会が開催されます。
 聖公会はこのような会議性を大事にしてきました。時間がかかろうが手間がかかろうが、誰か一人のリーダーの考えだけで方向性を決めず、ありとあらゆる地域の経験や状況、文化や意見などを持ち寄り、祈りつつ、するべきことを見極めます。ですから、そう容た やす易く決め事は定まりません。また決議された方向性は各教区に持ち帰られ影響力を持ちますが、束縛するほどの拘束力はありません。つまり宣教の今後の方向性は、各教区での状況や課題の深刻さの中でその受け止めが判断され得るのです。翻って、聖公会の会議では、受け止める側の成熟度が求められているとも言えます。
 これからの聖公会の方向性が提示されたことを少しずつでも教区の皆さまと分かち合い、わたしたちの状況の中で大事に受け止めていきたいと願っています。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2022年7月

 六月三〇日、ナザレ修女会の活動終了感謝礼拝が東京のナザレ修女会聖家族礼拝堂にてささげられました。
 幸せなことに、子どもの頃から修女会の存在は当然のことでした。仙台にはナザレ修女会仙台支部があり、主日礼拝や教区の行事、研修会にシスターたちが参加されていました。十和田湖には夏に過ごす修院と礼拝堂があり、司祭であった父と弘前から伺って聖餐式をご一緒したことが何度かあります。美しい湖畔に建つ小さな木造の礼拝堂での静けさと風の心地よさ、整えられたリネンや聖具類を今でも憶えています。ヤギもいました。
 北海道教区にも何度もシスターたちは来訪され交わりを重ねてくださいまし
た。渡辺政直主教のご依頼により、一九八三年には稚内聖公会に三ヶ月間八千代修女が滞在してくださっています。直接シスターに会ったことがない方でも、修女会で一枚一枚祈りながら作る聖餐式のウエハースをいただいた方はたくさんいらっしゃるはずです。何よりも大事なことは、シスターたちが各教会・伝道所、施設、信徒・教役者のために日々祈ってくださっていたということです。わたしたちが知らずとも、日本聖公会はナザレ修女会のシスターたちに八五年間祈りによって支えてもらってきたのです。
 感謝礼拝の後に順霊母がご挨拶され、修道生活は幸せだったと、祈られて幸せだったとお話されました。他者のために祈る方々だからこそ、祈られることの力強さをご存知なのだと、またひとつ大切なことを教えていただきました。
 祈りには力があります。ナザレ修女会の活動終了は本当に切なく寂しいのですが、これまでのお働きに心から感謝し、シスターたちがしてくださったように、わたしたちも誰かを祈りによって支えていきたいと願うものです。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2022年6月(笹森主教)

 初めての「主教室から」です。改めましてどうぞよろしくお願いいたします。
 北海道教区へ四月一日に移籍してから二ヶ月半、四月二三日の主教按手から一ヶ月半程が経過しまし
た。四月からのことを振り返りますと、なんだかずいぶんと長い時間がすでに経過しているような不思議な
感覚があります。恐らくあまりに多くの重要な出来事が次々とあったからだと思います。単身での札幌への
移動から始まり、北海道教区での聖週の日々、イースターの祝いと喜び、按手式前のリトリート、祈りと聖
霊に導かれての主教按手式、初の主教巡回と堅信式、そしてコロナ感染のための自宅療養もありました。教区教役者宿泊研修会、教区礼拝、教区の日、道央分区牧師会の家族会、主教巡回再開など。出向く場所も出会う方々も、すべてが新しいことばかりです。そしてそれらの出来事や皆さんからいただく言葉や思いを通して、教区主教として大切なことをひとつずつ経験させていただいています。中でも教役者の方々との祈りの時や対話は、わたしにとっての直接的で大いなる励ましであり、神の家族の交わりの核となるところです。
 だからこそ、パウロ三澤康二司祭さまを神様のみ許にお送りしなければならないという出来事は、衝撃的
な痛みと悲しみ、そしてキリストを真中にしたわたしたちの交わりの奥深さを感じる時となりました。直接
じっくりとこの世において出会うことがなかったにも関わらず、これまで先輩聖職をお送りする時とは違うレベルの痛みと悲しみがそこには確かにありました。まるで三澤先生が、同僚の教役者との密接度を、その痛みを通して教え導いてくださっているようでした。ありがたいことでした。きっと小貫雅夫司祭さまと同様、三澤康二司祭さまは今も北海道教区のために祈りお支えくださっていることでしょう。
 わたしたちは亡くなられた方々とも一緒に、北海道教区という信仰共同体としての長い旅を、何があって
も続けていきます。この旅への神さまの導きを心から祈り求めます。皆さまもどうぞ共に祈ってくださいま
すように。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2022年3月(植松主教)

 最後の「主教室より」となりました。
 主教に就任して数年後、ある信徒から「北海道難読地名番付表」をいただきました。重蘭窮、入境学、冬窓床、賎向夫、などなど、横綱級から十両級まで80もの地名が続き、「全部読めるようにならないうちは北海道から出てはいけません」とその方の手紙がついていました。上記の4地名はみんな釧路町にありますが、それぞれ、ちぷらんけうしにこまないぷいませきねっぷ、と読みます。25年間でついにこれらの80の地名はすべて読破しました。読めるようになるまでは出ていくなというその信徒にも、もう胸を張れます。
 今から36年前、弟から聞いた父の退職した日のことを思い出します。中部教区主教であった父の定年退職の日の夜12時、父と母と弟は主教邸の礼拝堂に座り、感謝の祈りを捧げました。祈りが終わり、しばらくの沈黙の後、父は母の方を向き、母の手を取って「ありがとうございました」と深々と頭を下げました。ふだん、母に気の利いたことをあまり言うことのない父です。しかし、この時の「ありがとう」には父の思いのすべてが込められていたのでしょう。父も母も、そして弟も泣いたとのこと。
 私の退職の日はどのように迎えるでしょうか。万感の思いを込めて、まずは神様に「ありがとうございます」と申し上げ、そして妻の三千代さんに、そして、その場にはもちろんいらっしゃらない教区のすべての聖職・信徒に、(すでに天に召された方々にも)、深々と頭を下げて、「ありがとうございました」と申し上げたいと思います。それしかないと思います。
 さようならは申しません。私たち二人は、心を北海道にも残していきます。この地で与えられた驚くほどの豊かなお恵みを感謝しながら、新たに主によって遣わされる地に参ります。インマヌエル、ハレルヤ、アーメン。

主教 ナタナエル 植松 誠

2022年2月

 「主教室より」はこれを含めて、あと2回を残すのみとなりました。25年前、主教に就任した時、前任の天城主教様の連載「八角堂」を引き継ぎましたが、編集部は私に何か新しい名前をつけてほしいと言われたのを覚えています。明けても暮れてもその名前を考えましたが、「そのうちに何かひらめきでも与えられるだろうから、それまで待とう」ということになって、仮題としての「主教室より」で、ついに25年間、そのままになってしまっていました。毎年12月号には教区会での主教告辞が載るので「主教室より」は無く、それでも25年間で約275回の「主教室より」を書いたことになります。「主教室より」に代わる名前はひらめきませんでしたが、これらの「主教室より」を読み返してみますと、毎回、毎回がひらめきの連続であったことに驚かされます。
 25年前の最初の「主教室より」には、5月、長い冬の後に、一斉に咲きだす庭の花や桜やこぶし、急に出てきた緑の草や葉を見て北海道の春の豪華さに感動し、「なんと美しい北海道の春でしょう」と書いています。でもその感動は、主教按手時(3月)の雪と氷、そして、ほこりが舞う汚い4月を体験したから言えたことなのでしょう。25年間、北海道の大自然に、人々に毎回感動しながら、その中で信仰を生きる聖職や信徒からいつも励ましや慰め、希望を与えられてきた自分であったことが275回の「主教室より」から実感できます。そして思うのです。キリストの福音って何と素晴らしいんだろうと。
 喜びや悲しみ、苦しみや困難、それらを持ちながら生きる私たちに、イエス様がいつもいてくださった。そして、北海道教区のみんながいつもいっしょにいてくださったと。

主教 ナタナエル 植松 誠

2022年1月

 12月28日は「聖なる幼子の日」という聖日です。「聖なる幼子」とは、イエス様が生まれたベツレヘムとその周辺で、ヘロデ王によって殺された2歳以下の男の子たちのことです。私はこの日、札幌キリスト教会の聖餐式に出ました。福音書では、マタイ伝2章にあるこれらの男の子たちの虐殺と母親たちの嘆きが読まれます。「主に感謝」と最後に司祭が唱え、会衆は「主に感謝します」と応えますが、私は「主に感謝します」が言えませんでした。イエス様の身代わりとなって殺された多くの幼子とその母親たちを想うと、とてもそのようには言えなかったのです。どうして、これが「感謝」なのかと。
 私が主教になる前、東京の管区事務所で総主事をしていた時、私はいろいろな問題で神経をすり減らして落ち込んでいました。日曜日には、東京や周辺の教会での礼拝奉仕があり、説教もしていたのですが、そのような状態では説教などできないと思い、妻に「もう、僕は説教はしない。こんな自分で、どうして福音など語れるか」と洩らしたことがありました。その時、妻に言われたのは、「順境の時には誰だって福音は語れる。でも、肝心なのは、逆境の時、どのように福音を福音として語れるかであり、あなたはまさにそのために聖職に召されているのではないか」ということでした。
 今金インマヌエル教会では大地がまだ凍りついている時に「種の祝福式」をします。およそすべてが死んでいるような中で、その大地にこれから蒔く種を祝福します。絶望と暗闇の中でも、信徒たちはそこに主の祝福があれば、秋には豊かな収穫があると信じて、「主に感謝」を唱えるのです。
 「主に感謝」は、まさに感謝できないような状況の中にあっても、主の祝福の介入があるのだと自分に言い聞かせることではないでしょうか。この新しい年、私たちはいつも「主に感謝」と祈り続けたいものです。

主教 ナタナエル 植松 誠