2020年12月

(教区報『北海の光』に教区会主教告辞を掲載しています)

2020年11月

 先日、10月27日~29日、日本聖公会総会が開かれました。当初6月に開かれるはずでしたが、コロナ感染拡大のために10月末に延期され、しかもオンラインでの総会となりました。私は議長を務めるため、管区事務所に出向きましたが、管区事務所スタッフ以外、すべての教区の主教議員・聖職信徒代議員たちはそれぞれの教区事務所でのリモート参加となりました。
 日本聖公会の教区制改革について重大な議案が主教会から出されましたが、それも可決され、インターネットやパソコン機器をフルに使っての総会は無事に終わりました。
 この総会で私は7期14年間にわたる首座主教の職務を終えました。教区主教をしながら、首座主教として東京や国内各地、海外に出向くことも多く、札幌を留守にすることはしょっちゅうでした。そんな中で、北海道教区の教役者の方々にはご迷惑をおかけすることも多々ありましたが、いつもご協力いただきました。信徒の皆さまも、私の体のことを案じ、祈り支えてくださいました。きっといろいろなご不満もおありだったことでしょう。この14年間を振り返り、皆さまの温かいお支えを今改めて思い起こし、心から感謝しています。定年まであと1年5カ月を切り、体力も減退しているように感じますが、皆さまを通して神様から与えられた多くのお恵みを今一度思い返し、願わくば元気に最後まで教区主教としての務めを果たさせていただければと思います。私にとって北海道で過ごした歳月は一生の内どこよりも長くなりそうです。北海道の大地、人々、すべては私の第一のふるさととなります。
 昔から、教区会や総会が終わると、心配して祈っている両親に電話したものでした。「無事に終わったよ」。母はそれを聞くと、「ああ、主に感謝、主に感謝!」と。今回、「首座主教、終わったよ」と言う私に、天国から、「ああ、主に感謝、主に感謝」が聞こえてきます。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年10月

 最近、何人もの方から、「どこか悪いのではないか」と聞かれます。また私の妻も、私の健康のことでそのように聞かれるとのこと。痩やせたからです。
 医者であった母が心配していたのは私の血圧でした。もともと植松家の家系
には脳溢血や脳卒中で亡くなった人が何人もいて、母に言わせると私はその植松家の傾向を持っているのだと。「あなたが脳溢血でさっさと召されるのだったらいいけれど、半身不随になって三千代さんや教区の皆さんに迷惑をかけるのはよくない」と。それで北海道に来てから定期的に脳神経外科クリニックに通院していました。
 名医であると思っていた母が、「植松家は糖尿病の心配はない」と断言していたので、安心して、美味しいもの、甘いものをいつもたくさん楽しんでいたのですが、昨年の二月、脳神経外科で血液検査をした際、お医者さんから、「植松さん、これ、糖尿病ですよ」と。そして糖尿病クリニックを紹介されました。検査の結果、血糖値がかなり高く、眼科での検査、末梢神経など様々な検査が続きました。幸いなことに、糖尿病の症状がまだ出ていないということで、食生活の改善、運動や生活のリズムの見直しなどに心がけるように言われました。そして、一大奮起をしたのです。食事時間を規則正しく、食べる量を減らし、酒を節制し、毎日一時間の散歩を課し、一年半が経ちました。体重は約一〇キロ減。血糖値もかなり正常値に近づきました。今も毎月糖尿病クリニックには通っていますが、お医者さんはいつも「模範的な患者」と褒ほめてくれます。
 「無病息災」もいいのですが、私にとって「一病息災」はありがたいことでした。そのような訳で、私の健康を気遣ってくださる方、私は大丈夫です。ご心配ありがとうございました。でも、母が生きていたら、きっと大目玉を食らったでしょうね。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年9月

 このコロナ禍の時、それぞれの教会では対策を講じながらの礼拝続行。いろいろな面で困難があり、聖職も信徒も頑張ってくださっています。一方、そのような中でも堅信式があることはこの上なく嬉しいことで、私たち皆が大きな喜びに満たされます。特に、ここ数か月の間には、長い間を経て受洗、堅信に導かれた方が数名おられ、それぞれのその時に至るまでの長い一日一日の積み重ねを思うと、奇跡としか思えない、神様の不思議なお導きに深く感じ入ります。
 ご本人の求める心、家族のつながり、教会の人たちとの交わり・・・。それら、様々な要素が編みなしていく過程で、ゆっくりと実が熟すように、数年かかって、あるいは十数年、いえ、二十数年もかかって、時には私たちが忘れてしまっているうちに熟し切っていき、ほろっと神様の御手に落ちるのです。
私たちは不完全です。祈っても祈っても自分の思い通りにならないとなると絶望しそうになります。いくら祈っても・・・という思いが先立つ中で、半分あきらめながらも、やはり祈ります。決して強い信仰で、「神様のみ心だから」と宣言できる者ではありません。それでも、なんとか細い糸をたぐるように、祈り続けます。砂漠に種を(ま)くような思いです。そしてある時、その種が決して忘れ去られず、時が来ると実を結ばせていただけるという現実に出合い、おののくことがあるのです。結果は私たちの思い通りではありません。それを超えたものです。私たちの祈りは不完全であっても、それを聞いてくださる神様の憐みは想像を絶します。大きな御手の中で、信仰の薄い私たちがあっちへ行ったりこっちへ来たり・・・としながらも、必死でみ心を追い求めていることにただただ深い憐みを注いでいてくださることを、改めて感謝する日々です。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年8月

 本来なら今月の「主教室より」は英国でのランベス会議からの投稿になるはずでしたが、ランベス会議はコロナのために来年夏に延期されました。ランベス会議とは、10年に一度、世界中の現役主教とその伴侶がカンタベリー大主教の招待でカンタベリーに集まる大会議です。スタッフなども入れると総勢で2千人もの参加者になります。私はこれまでに2回参加しました。
 来年の夏に延期ということでしたが、それでも本当に開けるだろうかと心配していました。世界中でコロナ感染は拡大しています。それに対処するためのワクチンはまだできていません。世界中の主教が参加するランベス会議ならば、コロナ感染によって、だれかが参加できないということはあってはなりません。また、今のような状況では、世界の各地から主教たちが旅行できるはずもありません。それらが来年夏にはすべて解決しているとはどうしても考えられないと思っていた時に、カンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビー師から私とテレビ電話でランベス会議開催の件で話したいとの意向が伝えられました。事前に日本の主教たちの意見も聞き、当日の電話では、私は上記の理由で来年の開催は無理だと申しました。もしも2022年夏に延期するのなら、それまでの期間、できれば、あなたとあなたのチームがいろんな管区を訪問して、そこの主教たちと一緒に協議し、祈り、交わりを深めてみては?と提案しました。ウェルビー大主教は、それは良い考えだと。
 その2週間後に、ランベス会議を2022年夏に再延期するという正式な通知がきました。2022年の3月末で私は退職となりますので、次のランベス会議には行けません。ランベス会議のためのご献金は7月末で一応終わりましたが、次の主教が参加できるように、教区で大事にお預かりしておきます。皆様の尊いご献金とお祈り、誠にありがとうございました。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年7月

 6月23日は「沖縄慰霊の日」でした。1945年のこの日、20万人以上の戦死者(その半数以上は住民)を出した沖縄での凄惨を極める地上戦が終結したといわれています。日本聖公会では毎年、この日を含む一週間を「沖縄週間」として覚えてきました。その特祷には、「わたしたちを平和の器にしてください。嘆きと苦しみのただ中にあなたの光を、敵意と憎しみのただ中にあなたへの愛と赦しをお与えください。私たちの出会いを通して悲しみの中に慰めを、痛みの中に癒しを、疑いの中にあなたへの信仰を豊かに注ぎ込んでください(一部)」とあります。
 沖縄を覚えて祈るこの特祷が、コロナ(か)の中で様々な思いを持ちながら生きる私たちに何か通じるものがあると感じました。沖縄の方々が今もまだ苦しみの中にあることに目をそむけてはいけないと分かっていながら、私たちはいつも自分の生活を優先しているのが現実です。しかし、このコロナ禍で、私たち自身、思いもかけない苦しみを味わう日々を送っています。当たり前だった普通の生活が困難となる中での嘆きと苦しみ、人との(す)れ違い、親しい人を遠ざけなければならない理不尽を余儀なくされ、時には敵意と憎しみが心を支配することに自分自身が驚き、悲しみ、このような時、どのように平和を創り出す人になれるか、(すさ)んでいる自分の心に呆然としていることが多いこの頃です。
 沖縄の方々の歩んでこられた困難と苦しみを思うとき、今の私たちが置かれている状況は比べものにならないほど小さいと思いながら、でも、ほんの少し、今私たちがコロナ禍にある時に、いえ、コロナ禍にあるからこそ、その困難や苦しみを自分のものとして感じられるのではないか、上に挙げた沖縄週間の祈りは、まさに今の私たちのための祈りだと思わされました。
                     主教 ナタナエル 植松 誠

2020年6月

 今年のイースターは紋別聖マリヤ教会に巡回。それ以降、札幌在住の私は主教巡回自粛を余儀なくされています。例年なら今頃は前期の主教巡回日程に従って、道北、道東、道南へと出かけているはずです。私にとっては巡回で信徒の皆さんとお会いし、ともに聖餐に与り、交わりの時を持つ・・・。それは当たり前のことでした。この23年間、どれほどその巡回で私自身が強められ、祝福されたことか、今まさにそのことを思い巡らし、辛い思いでいます。身の置き場がない・・・という気持ちです。一つひとつの教会の信徒の皆さんのお顔を思い浮かべ、あの方はどうしておられるだろうか、あの方のご病気はどうなっただろうか、あの方の家族は・・・と、祈りの中で問うばかりです。札幌市内の教会でもご自宅での礼拝を捧げておられる方が多く、やはり思いは同じです。それぞれの教会の教役者たちは、いろんな工夫を凝らし、できるだけ、お一人おひとりとの交わりを絶やさないようにと、やはり思い巡らす日々でしょう。
 人間の計画のなんと脆いことか、改めて思い知らされました。本来ならば、6月の初めに管区の総会も終わり、私は首座主教としての働きを終えているはずでした。その後のことを、私なりにいろんな夢をもって描いていました。退職までの1年10カ月、今までできなかったこと、例えば、巡回に合わせて病気の信徒の方々や、しばらくお顔を見ない方々を訪ねること、あまり関われなかった地方の幼稚園、保育園に出向いて行って先生方、子どもたちと過ごすこと・・・。これからはそんなことをする時間も与えられる。そのような私のささやかな計画も覆される今回のコロナの波でした。
 今、このような困難な状況下にあっても、そこに主のご計画があることを信じ、新たな歩みが始められるように心を奮い立たせて祈ります。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年5月

 新型コロナウイルス感染拡大で、教会では、主日礼拝の聖餐式に皆が集まるということができません。これまで、聖餐に与かるという極めて当たり前であったことが、実はいかに大きな恵みであり祝福であったかを多くの方が思いめぐらしていることと思います。
 私が札幌キリスト教会の牧師を兼ねていた時に、経験したことを二つお話します。ある高齢者の信徒をお訪ねした時、その方は認知症でもう私のことも教会のこともお分かりにならないようでした。機嫌が悪く、早く帰れと言わんばかりの様子に、携えていった聖餐のパン(ウェハース)を出して、「今日、これを持ってきました」と言うと、途端にその方は椅子から床にひざまずき、頭を垂れて、両手を差し出しました。「主イエス・キリストのからだ」、「アーメン」の声が響きました。
 もう一人は、やはり認知症でグループホームに入っておられ、教会には長くいらしていませんでした。私の訪問をとても喜んでくださり、話がはずみました。最後、二人で聖餐式をしました。しかし、その方は聖餐式そのものをよく覚えておられず、祈りの最中にも、いろいろ話しかけてきました。いよいよ聖別したパンを出したとき、「ああ、これこれ! これをいただかないと、ダメになってしまうんですよ」と。二人で笑いながらも、私は感動していました。 
今年1月末に大阪聖三一教会の主日礼拝に行った際、一人の高齢の女性が、陪餐時、前に出てくる時から泣いていて、陪餐の「アーメン」も涙声でした。体調を崩して2か月ほど教会に来られなくて、その日が久しぶりの聖体拝領だったのです。嬉しくて嬉しくて、有難くて有難くて・・・と。
 新型コロナウイルス感染も収束する時がきます。皆で教会に集まり、共に礼拝を捧げ、主イエス・キリストの御体と御血に与かるその喜びの日を待ち望みましょう。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年4月

 「お前は(いか)るが、それは正しいことか?」。私が何か理不尽に怒っているときに、時々、妻がぽつんと独り言のように言います。これは旧約聖書のヨナ書4章に出てくる言葉です。預言者ヨナが神から、ニネベに行って人々に悔い改めを呼びかけるように命じられますが、ヨナはそれを受け入れず、船で別の地に逃れようとします。そして大荒れになった海で船から放り出され、大きな魚の腹の中で3日3晩祈り、悔い改めます。魚の腹から救い出されたヨナに再び神はニネベに行くことを命じ、ヨナはそれを受け入れ、ニネベの人々に、あと40日すればニネベの都は滅びると預言するのです。ニネベの人々はそれを聞いて大いに悔い改め、神に立ち返ります。
 悪の道から離れたニネベの人々を神はご覧になり、くだそうとした災いを思い直されます。ところがヨナは自分の宣告したことがその通りにならなかったことに腹を立て、どうか私の命を取ってください、死ぬ方がましですと神に向かって怒るのです。ニネベの人を救うことよりも、自分の行いが蔑ろにされたことが彼にとっては重大だったのです。その時の神の言葉が、「お前は怒るが、それは正しいことか?」。
 このヨナの言動には笑えないものがあります。理不尽なことが起きた時、自分の正しさを認められることなく蔑ろにされているように感じる時、私たちは怒りを溜めこみます。神に向かって、だから私は・・・と、怒ります。そしてそれが時には一番近い家族にも向かってしまうのです。
「お前は怒るが、それは正しいことか?」という言葉は、あたかも水で頭を冷やすように私たちに降りかかります。この言葉は、神の叱責ではなく、もう一度立ち返ってよく思いを巡らし、わたしの業を見なさいということではないでしょうか。
 と言いながらも、つまらないことで怒ってしまうのが人間。そんな時、本当は、「たいへんね・・・」と慰めてほしいのですが・・・。

主教 ナタナエル 植松誠

2020年3月

 今年1月25日土曜日、献体をしていた母の遺骨が戻ってくるということで、1年ぶりに家族が大阪に集まりました。
 翌日の日曜日は私にとって最初に牧師として遣わされた大阪聖三一教会に妻と娘も一緒に行きました。ここは私が主教になる前、牧師として勤めた唯一の教会です。礼拝堂と、築80年を過ぎた牧師館と会館も老朽化し、今年新しく建て直すということを聞き、どうしてももう一度訪ねたいと思っていたのでした。
 礼拝堂は古ければ古いほど、人々の祈りに満ちています。その祈りの力を全身に感じます。昔のままの礼拝堂でした。この礼拝堂で何度涙したことか、何度挫折を覚えたことか・・・。まだ小さかった私の子どもたちも信徒の方たちに育てられました。この日、懐かしい信徒のお一人おひとりのお顔を見ながら説教壇に立ち、胸がいっぱいになりました。天国に逝かれた方も多くおられます。まだ34歳だった私は、牧師としてその方たちに育てられました。初めて牧師館に住む妻にとっては、婦人会の方たちがお母さんでありお姉さんであり、とても大事にしていただきました。私が牧師館を空けることも多いので、番犬用にとどこからか仔犬ももらってきてくれ、みんなで可愛がりました。悲喜こもごも、辛いこともたくさんありましたが、人と人との交わりを神さまは祝福してくださっていると確信することに溢れていました。
 私がいた頃に青年だった人たちが、今ではその教会の中心となっている姿に感動し、子どもだった人たちのまた子どもたちが駆け回っていることに喜びを覚えました。若気の至りから、やる気満々で牧師となり、いろんな挫折を味わってだんだんと自分の限界も知らされ、その中で本当に人のつながりの温かさを教えてもらった私の原点となる教会でした。
これから造られる新しい礼拝堂、牧師館、会館にも益々祈りが込められるようにと願っています。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年2月

 3年前の教区礼拝の折、私の主教按手20周年を祝って、全員で「暗闇行くときには」(聖歌集476番)を歌ってくださいました。私の大好きな聖歌であることを多くの方がご存知でした。またこの聖歌を「北の果てなる氷の山」に代わる新たな「北海道教区の聖歌」とまでおっしゃる方もあります。
 この聖歌は、現在の聖歌集が作られる過程で、各教会に送られてきた試用聖歌の一つでした。ある日曜日、室蘭聖マタイ教会に巡回した際、礼拝の始まる前に、オーガニストのH姉が、「主教さん、今日、この聖歌を歌います」と言って持ってこられたのが、この「暗闇行くときには」でした。私にとって、一度も見たこともない聖歌。「えっ? こんな聖歌、ぼく知らないよ」と言う私に、「今日の主教さんの巡回礼拝のためにこれを歌おうと、みんなでずっと練習してきました」というH姉の言葉に、私は「そうでしたか、それでは歌いましょう」と。
 礼拝の中で、この聖歌を歌い始めました。美しい歌いやすいメロディです。でも、私は初めて歌うこの聖歌に胸がいっぱいになりました。「暗闇行くときには 主イエスが示された 輝く星を求め、光に顔向けよう」。2節は「救いのない苦しみ 行く手をふさぐとも 主のみ手に支えられ 光もとめ歩もう」。涙で私は声が出ませんでした。かつての繁栄と活気は街から消え、教会は何年も定住教役者がなく、高齢化が進んでいます。まさにその教会の現実を物語っている聖歌でした。その中で、少ない信徒たちがこの聖歌を必死に練習してきたのです。この聖歌こそが、この教会の信徒たちの叫びであり、祈りであり、また希望の源だったのです。
 それ以来、私はこの聖歌を歌い続けています。また、室蘭で初めてこの聖歌を歌った時の感動を人々に話してきました。マリアH姉は毎主日熱心にオーガニストの奉仕を務め、この1月18日、60歳で天に召されていきました。

主教 ナタナエル 植松 誠

2020年1月

 10数年前、聖ミカエル幼稚園のクリスマスで演じられた聖誕劇でのヨセフを思い出します。ベツレヘムに着いたマリアとヨセフですが、礼拝堂いっぱいのお客さんを前に、ヨセフは完全にあがってしまっていて、セリフも言えず、マリアとのデュエットでも、歌うのはマリア独り。すると、マリアがあきれた顔をして、並んで立つヨセフの背中を思いっきり叩いたのでした。
 私はクリスマス物語に出てくるヨセフにいつも魅かれます。ヨセフはどこまでも脇役に徹する人。でしゃばらず、黙々とあかちゃんイエスのそばにたたずむ人です。この役は目立ちたがり屋にはできません。黙って行動するヨセフ、しかし、その彼の存在感はとてつもなく大きいのです。
 許嫁(いいなずけ)のマリアが懐妊します。自分の子ではないことでヨセフは苦しみます。しかし、「ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」との天使の言葉に従います。つべこべ言わないで、信頼して委ねるのです。眠りから覚めるとすぐにマリアを妻に迎えたとあります。不安で眠れないはずの夜なのに彼は委ねてぐっすり寝たというのです。逃げずにとどまり、神の計画を信じたヨセフ。たいした信仰です。
 ヨセフは主役になることを選ばない人でした。しかし、大事なところで舞台回しの要点を押さえています。「起きて、子どもとその母親を連れてエジプトに逃げなさい。ヘロデがその子を殺そうとしている」という天使のお告げにすぐ従います。夜のしじま、月の光の中、イエスとマリアを連れて砂漠を進む保護者ヨセフがシルエットに浮かび上がります。聖書の中にヨセフのつぶやきは一つもありません。そして、エジプトではヘロデ王が死ぬまで、忍耐強く待ち続けるのです。
 福音書の冒頭にチラッと出てくるヨセフ、それは脇役に徹して黙って主のために生涯を献げる姿です。でも、その存在は私の心を捉えてやまないのです。

主教 ナタナエル 植松 誠