2024年11月

 日韓聖公会宣教協働四十周年記念大会が、「和解」というテーマで韓国のチェジュド(済州島)で開催されました。
 今回日本聖公会が主催でしたが、十年前と同じチェジュでの開催でした。それには歴史的な出来事が背景にあります。
 第二次世界大戦での日本敗戦後、朝鮮半島が三八度線で南北に分断され、南は米軍の支配下となります。それに対する民衆の反対運動があちらこちらで起きました。一九四八年四月三日、チェジュドでも島民蜂起が起こります。その鎮圧のために警察、韓国軍などが「反共」を掲げて島民を次々と虐殺していきました。一九五四年まで続いた弾圧により島民一万四千人とも三万人とも言われるおびただしい犠牲者が出ました。島外脱出した多くの人々が大阪生野の地域の親戚などを頼っていらしたそうです。長年韓国ではこの四・三事件がタブーとなっていたために家族すらもその死を悼むことができなかったというのです。
 これまで大阪生野センターの開設や維持のために大韓聖公会から多くの支援をいただきました。同胞がいらっしゃるからです。一方、チェジュドの聖公会の教会や今年建設された黙想の家建設のために日本聖公会も支援をしています。それは大阪生野に多くの四・三事件の被害を受けた方々がいらっしゃるという以上に、そもそも日本が朝鮮半島を侵略しなければ、朝鮮半島が分断されることも虐殺も起こらなかったであろうという日本聖公会の歴史観によるものです。
 今大会において、全参加者が四・三平和記念公園を訪れ、追悼の祈りをささげ、多くの方々のいのちと尊厳の回復といやしを、また世界中の戦争の終結と平和をひたすら祈り願いました。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2024年10月

 エリサベト三浦千晴執事の司祭按手式についての公示を発行いたしました。教区に新司祭が誕生することは言葉にならないほどの喜びです。きっと皆さまも同じ思いでいてくださることと思います。新たな職務を担っていくことになる三浦執事ご本人も司式する私も、畏れをもって臨みます。どうぞ三浦執事のために聖霊の導きを一層祈ってください。また按手式前のリトリートのため、按手式のためにお祈りください。ご参列もお待ちしています。
 また既報の通り、札幌聖ミカエル教会信徒の横山光紀さんが聖職候補生志願者となられました。このことも大いなる喜びであり、感謝です。
これから横山光紀さんは聖職志願についての識別の大事な時期を過ごされます。そこで、東京教区聖職養成委員会で実施している聖職候補生志願者のためのプログラムを参考に、北海道教区聖職養成委員ともご相談をし、六名の方々にこの時期の横山光紀さんと霊的にご一緒していただくことといたしました。横山光紀さんとともに歩む「見守りのプログラム」です。
秋頃から半年という短い期間ではありますが、六名のメンバーは月に一度の会合で横山光紀さんの思いをひたすら聴き、祈り、支え、識別の手助けをします。安心・安全のためのルールもあります。
 北海道教区では新しい試みですので、祈りによらなければ成し遂げられません。どうぞ横山光紀さんのため、そしてはじめてのプログラムに参加するメンバーのために、また北海道教区の歩みのために、皆さまの祈りを合わせていただきたいと願っております。
 暴力と不信感の充満しているこの世界において、神への信頼と希望と他者のための祈りの実践を通して、お二人の新たな歩みとともに、北海道教区が世界に神の愛をひたすら伝える器として整えられますように。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2024年9月

 今年は英国聖公会での女性の司祭按手から三十年、主教按手から十年、カナダ聖公会での女性の主教按手から三十年、米国聖公会での女性の司祭按手から五十年、そしてアングリカン・コミュニオンでの初めて女性の司祭按手から八十年という記念の年です。そして八月一五日、フィリピン聖公会では女性の司祭按手三十三年記念礼拝がささげられ、説教者として参列してきました。按手三十年の企画がコロナ禍により延期となっていたのですが、三年前でしたら呼ばれることもなかったかも知れないと思うと、神さまのなさることの不思議を思わざるを得ません。
 今から三十五年程前の学生時代、ほぼ一年間フィリピンに滞在していた折、マニラの聖アンデレ神学校教員としてジュリエット・タクロバオ執事が活躍されていました。その司祭按手を記念したのがこの度の礼拝です。また他にも同世代の女性の教役者が当時複数おり、その後次々と司祭に按手されたことを知ったことも嬉しい出来事でした。
 現在フィリピン聖公会では八十名程の女性の聖職がおり、全学年百名ほどいる神学生の半数は女性たちであることは驚くべきことでした。一方、女性の主教はフィリピン聖公会ではおらず、彼女たちとの出会いは相互に心動かされる貴重な経験となりました。台風のためのフライト延期も女性たちとじっくり話す機会ともなりました。
 性に関わりなく十全に役割を担っている共同体の姿は、ジェンダーの課題のある社会に向かっての大きな宣教の発信となります。それはジェンダーのみならず、多彩な社会形成のモデルとなりえます。今、日本聖公会やフィリピン聖公会で奉職している女性たち一人ひとりを思い起こしながら、それぞれの管区が多彩な社会形成に寄与し、主の平和と正義の具体的な器となっていくことを心から祈り求めます。そして女性たちを含めた一人ひとりの物語が歴史を担う主体であることを覚えたいと思います。
 この機会を与えてくださった北海道教区の皆さまに、また主に心から感謝します。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2024年8月

 教区宣教150年記念礼拝に多くの方々が遠方からまた近隣から駆けつけてくださり、共に主に感謝と賛美をおささげできましたことは望外の喜びでした。会場は熱気と出会いの喜びに満ち溢れていました。何よりも主のお導きと、さまざまなご理由で参列できなかった方々や先に逝去されたすべての方々の篤い祈りにも支えられていると感謝し、先日デニング司祭の墓参にも行ってまいりました。
 多くのお祝いメッセージの中で、礼拝中にご紹介したCMS本部のアラスター・ベイトマンCEOのメッセージの一部をご紹介します。
 「この記念日を祝う時、皆さんは教会の物語における重要な瞬間を思い出していることでしょう。その瞬間がCMSの物語においても、また何よりも神がなされ、そして今もなし続けておられる物語においても、重要な瞬間であったことを覚え、皆さんと共にお祝いいたします。
 この神の物語が、北海道教区の皆さんの間で、CMSの私たちの間で、そして世界中の神の民の間で、これからも続いていくことを祈ります。」
記念礼拝の朝、ベイトマン氏から再度メールをいただきました。記念礼拝前日にお母様の家をお訪ねになった折、偶然彼の大叔母様のSPG宣教師ミス・ローズの手紙のコピーをその家で見つけたというのです。ローズ宣教師はほぼ100年前にSPG派遣の宣教師として来日した方です。関東大震災直後九日目の様子を軽井沢にて手紙にしたため、SPGCMSの宣教師たちが知る限りにおいて皆無事のようだと綴って英国に送っている手紙でした。この手紙を見つけ、ベイトマン氏はますます北海道教区に思いを馳せ、手紙の写真画像を送ってくださいました。神の物語が確かにわたしたちの間で続いていたことのしるしのような手紙でした。神様からの贈り物のごとく彼の目に留まり、またわたしたちの許にも届けられたのです。このようなつながりをこれからも一つひとつ大切にしていきたいと願います。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2024年7月

 「働き人は少ない。北海道は特に甚だしい…。五ヵ所が無牧、神学校には七名の神学生が学ぶだけである。(中略)北海道には約三百の町村があるが、教会が働いているのはその中僅か二七だけである。」(『教区九〇年史―日本聖公会北海道教区』より)
 今から九九年前、CMSが北海道に伝道を開始してから五一年後、後の北海道教区第三代教区主教となるゴードン・J・ウォルシュ主教がまだ司祭であった折に、CMS本部への報告として北海道教区の窮状を訴えた文書の一部です。
 当時最も重要な課題はCMSの北海道からの退去計画でした。人員的にも霊的にも、経済的にも大きな支えであるCMSの退去を思い留めさせ、さらなる支援を求める文書を送られたのです。その後、教区主教となったウォルシュ主教は北海道教区の宣教活動強化のために遠方への巡回を重ね、信徒を励まし、ひたすらご自身の身をささげてくださいました。
 二〇二二年ランベス会議の後、友人を訪ねてイーリーに出向き、次の日、友
人とイーリー大聖堂をお訪ねしました。荘厳で美しく、またとてつもなく広い
聖堂内を巡っていた時、小さな祭壇の横の壁に埋め込まれていた銘板を見つけました。そこにはウォルシュ主教のお名前と一九一四年から一九四〇年まで日本で宣教師としてお働きになり、内一九二七年からは北海道教区主教として奉職され、さらに日本語での「信望愛」とともにこの銘板が北海道教区の人々によってウォルシュ主教の記念として贈られたとの記載がありました。漢字は一九七五年に留学中の大友正幸司祭の筆でした。
 お恥ずかしいことに全く予備知識のない中でこの銘板を偶然見つけた時のわたしの驚きと感激は、今でも忘れることはできません。まるで百年の時を経てウォルシュ主教に強く逞しくあれと励まされた思いでした。
 今年、わたしたち北海道教区は宣教開始一五〇年を迎えています。百年前から変化したこともしなかったことも含め、それでもわたしたちは福音宣教のためにこうして立っています。すべては神のみ国の実現のためです。これからもさまざまな課題を抱えながらも、また悩みながらも、わたしたちはともに歩み続けます。そのために聖霊のお導き、また先達たちの励ましを心から祈り求めます。
 歩き続けよ、福音の道を!

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2024年6月

 五月二八日より三日間、日本聖公会第六八(定期)総会が東京教区聖アンデレ教会にて開催されました。北海道教区からは主教議員の他、木村夕子司祭、三浦千晴執事、大友宣さん(札幌聖ミカエル教会)、吉谷かおるさん(札幌キリスト教会)が総会代議員として参加しました。
 印象深かったのは、各宣教協働区の活動が二年前に比較してずいぶんと内容が充実し、確実に進んでいる様子や「二〇二三年日本聖公会宣教協議会からの呼びかけ」があらゆる場において分かち合われることを願う報告とカード配布、女性デスクからの「二〇三〇四〇(二〇三〇年までに意思決定機関に占める女性の割合を四〇%に)」という新たな目標への呼びかけ、セーフチャーチを広めるための活動、渡邉さゆり牧師によるマイノリティ宣教センターの働きを通しての人権についての学び、などでした。否決となりましたが、宣教協働区の区分の再協議を求める提案については、今後丁寧な議論と検証が求められることでしょう。
 私は祈祷書改正委員会の委員長として委員会報告を行いました。本来この総会に祈祷書改正第一回目協賛(祈祷書改正は二度の総会の決議が必要です)の議案提出だったにもかかわらず、作業の遅れのために実施できなかったことをお詫びしたのですが、多くの方々が祈り、労ってくださっていることを感じ、改めて今後二年の延期議案を可決してくださったことに感謝しかありませんでした。
 また今総会では、ダビデ上原榮正主教様(沖縄教区)が新しく首座主教に就任されました。これまでの四年間、日本聖公会を導いてくださったルカ武藤謙一主教様に心から感謝するとともに、新たな歩みへ勇気をもって歩んでいこうと呼びかけてくださる上原首座主教様のために、ともに祈りたいと願います。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2024年5月

 三月一四日、敬愛する司祭ステパノ齊藤昭一先生が逝去されました。九七歳のご生涯でした。ご葬儀は齊藤先生が二十年お通いになった仙台基督教会で執り行われ、東北教区主教長谷川清純師が説教者として仙台での齊藤先生のご様子をお語りくださり、同教会牧師の八木正言司祭が葬儀のお手配をすべて取り仕切ってくださり、大町司祭が司式者団に加わってくださり、神様のみ許にお送りすることができました。函館からも信徒の皆さんが駆けつけてくださいました。感謝でした。遠方であったが故に、たくさんの北海道教区の方々が祈っていてくださったことと思います。必ずその祈りは主に、齊藤先生に届いています。感謝です。
 齊藤昭一先生は五十年という長い年月、北海道教区にご奉職くださいました。一九五三年のて平取聖公会に始まり、室蘭聖マタイ教会、網走聖ペテロ教会、旭川聖マルコ教会、釧路聖パウロ教会、厚岸聖オーガスチン教会管理、そして定年退職を迎えられます。その後寺本睦夫司祭管理のもと釧路聖パウロ教会・厚岸聖オーガスチン教会の嘱託、函館聖ヨハネ教会・今金インマヌエル教会嘱託として二〇〇二年三月末まで各地での宣教牧会に勤しまれました。司祭按手は一九五五年。今年七月で司祭按手六十九年です。
 齊藤先生とはかなり以前に仙台でお会いしたことはありましたが、私が北海道教区に参りましてからはお電話や郵便でのやり取りが主でした。信仰の情熱を詩に託され、また多くの方々に近況を尋ねながら毎号欠かさずご自分の詩が掲載されている仙台基督教会月報を郵送してくださいました。昨年末その郵便物が途絶えたので案じておりましたら、年賀状のお返事をご丁寧にくださり、そのご様子に安心しておりました。
 ご葬儀で愛唱歌として選ばれていた聖歌は、四七六番「暗闇ゆく時には」でした。北海道教区の歌です。離れていても北海道教区を思っていてくださった齊藤先生の思いに触れたように感じ、思わず司式をしながらも涙を禁じえませんでした。
 齋藤先生、ありがとうございました。どうぞ神様のみ許で安らかに過ごされますように。今頃三澤先生方と楽しくご歓談されていることでしょう。またお会いします。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2024年4月

 三月一四日、敬愛する司祭ステパノ齊藤昭一先生が逝去されました。九七歳のご生涯でした。ご葬儀は齊藤先生が二〇年お通いになった仙台基督教会で執り行われ、東北教区主教長谷川清純師が説教者として仙台での齊藤先生のご様子をお語りくださり、同教会牧師の八木正言司祭が葬儀のお手配をすべて取り仕切ってくださいました。大町司祭が司式者団に加わってくださり、神様のみ許にお送りすることができました。函館からも信徒の皆さんが駆けつけてくださいました。感謝でした。遠方であったが故に、たくさんの北海道教区の方々が祈っていてくださったことと思います。必ずその祈りは主に、齊藤先生に届いています。
 齊藤昭一先生は五〇年という長い年月、北海道教区にご奉職くださいました。一九五三年の平取聖公会に始まり、室蘭、網走、小樽、旭川、釧路、厚岸の各教会勤務を経て定年退職を迎えられます。その後寺本睦夫司祭管理のもと釧路聖パウロ教会・厚岸聖オーガスチン教会の嘱託、函館聖ヨハネ教会・今金インマヌエル教会嘱託として二〇〇二年三月末まで各地での宣教牧会に勤しまれました。司祭按手は一九五五年。今年七月で司祭按手六九年です。
 齊藤先生は、信仰の情熱を詩に託され、多くの方々に毎号欠かさずご自分の詩が掲載されている仙台基督教会月報を郵送してくださいました。昨年末その郵便物が途絶えたので案じておりましたら、年賀状のお返事をご丁寧にくださり、そのご様子に安心しておりました。
 ご葬儀で愛唱歌として選ばれていた聖歌は、四七六番「暗闇ゆく時には」でした。北海道教区の歌です。離れていても北海道教区を思っていてくださった齊藤先生の思いに触れたように感じ、思わず司式をしながらも涙を禁じえませんでした。
 齊藤先生、ありがとうございました。どうぞ神様のみ許で安らかに過ごされますように。今頃三澤先生方と楽しくご歓談されていることでしょう。またお会いします。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2024年3月

 今年、二度目の北海道での冬を過ごしています。今年は暖冬で大雪という長期予報が出ていましたが、その通りの冬です。
 一度目の冬は、東北で生れ育った私でもさすがに驚く寒さと雪の多さ、また冬の生活の仕方の違いに毎日目を丸くしながら過ごしておりました。最初は面白がっていましたが、降り積もる雪の多さや凍った道を経験している内に、次第にこれまで経験したことのないレベルに圧倒され、家の窓を覆っていく雪の高さに恐れをなしていました。夜中に除雪車の作業音を聞くとありがたいとほっとし、二月頃には窓の外から降り続く雪を眺めては、「この雪が解ける気がしない。」と夫とつぶやく毎日でした。春に北海道に引っ越して来たにもかかわらず、春が再びやってくることに本気で懐疑的でした。
 けれども、本当に雪は解けるのです。どんなに固く凍り、人の背以上に積もって先を見通せないほどの高さの街並みになってしまったとしても、春の陽射しには決して敵わないのです。道民の方にとっては当たり前のことかも知れませんが、春にすべてが解けてゆく様子に私はひたすら心から感動しておりました。
 雪は必ず解けるのは真実だと知ったおかげで、二度目の冬は違っています。真実のおかげで自由な心持ちであり、同じ世界が違って見えます。信仰の基本を経験させてもらっています。
 湖も川も、海さえも凍り、大地が深みまで凍るこの北海道に、もうすぐ春がやってきます。今眼の前に広がる雪や氷に覆われている世界が一層美しく見えます。途中ぐちゃぐちゃの時を経て、必ず春はやってきます。皆さんのところにも必ず春は訪れます。残りの冬の季節を主に守られ、ご無事に過ごされますように。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2024年2月

 一月一日に起こった能登半島地震で多くの方々が犠牲となり、また被災された方々が今も日々の生活もままならずに過ごされていることに心痛い思いでおります。大切な生活の場が今まとは全く変わってしまった状況を目の当たりにしながら過ごす日々に、どんなに多くの方々が落胆されていることだろうかとも思います。亡くなられた方々に神さまのみ許での永遠の安らぎが与えられることを、また困難な中で生活している方々に必要なすべてがもたらされることを祈ります。
 ことに長期化している断水によって生じている生活の困難さは、想像もつきません。厚生労働省によると一日一人あたりの家庭での生活用水はおよそ二三〇リットルだそうです。水はいのちを支え、また清潔を保ちます。医療措置にも水は必要です。非常時の節水だけでも厳しい状況であるにもかかわらず、それを一ヶ月以上もの間、自力で毎日運んだり、また確保のために奔走しなければならなかったりする体力と気力の維持は、極めて困難なことです。
 パレスチナのガザでも以前から清潔な水の不足が大きな課題になっていましたが、イスラエルの攻撃が続く中でそれはますます深刻になっています。生活のための水がないという状況は、当然ですがいのちの危険につながります。
 「主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください。」(ヨハネ四:一五b)と、どれほどの人々が世界中で今も叫んでいることでしょうか。叫び求める方々に、キリストが生きるための水と永遠のいのちに至る水とを届けようとしてくださっています。わたしたちもキリストのそのお働きに加えていただきたいと切に願います。


主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2024年1月

 一月一日朝、東京教区退職司祭マリア山野繁子師が、八一年のこの世でのご
生涯を終えて神様のみ許に召されました。言葉にならないどうしようもない淋しさと、同時代を同伴してくださったことへの深い感謝の念で心が一杯になり、日を追うごとにその存在の大きさを感じています。お会いしたことのない方にとっても、昨年の教区聖歌四八七番「重荷背負う人に」の作詞で馴染みがあることでしょう。
 山野繁子司祭とわたしは三五年程前からのお交わりです。すでに日本聖公会のみならずアジアのキリスト教界で活躍されていた山野先生にお会いでき、誠実な、そして知的で静かなそのご様子に感激したものでした。まだ女性の司祭志願が叶わなかった時代、わたしは「生涯待てる」と思い志願を決意し、二〇歳ほど年上の山野先生は「今、志願しないと」と思われ、不思議なことにそれぞれ同じ時期に聖職志願をすることとなります。その後痛みと悲しみ、また祈り支えられている喜びをともにし、執事按手をともに受け、法憲法規の司祭志願の要件から性別条項が削除される一九九八年の日本聖公会総会をともに傍聴し、聖職試験をともに受験し、二五年前の一月六日顕現日にともに竹田眞主教より東京教区で初めての女性としての司祭按手に与りました。その後の牧会生活においても、山野繁子司祭が常に同じ教区にいてくださったことは、わたしにとって大きな支えであり、励ましであり、学びでありました。一人では到底
乗り越えられなかった道程に尊敬する同伴者が与えられていたことは、神様からの大きな贈り物以外何ものでもありませんでした。
 山野先生、ご一緒できて本当に光栄でした。またお会いする日まで精一杯務めます。主に抱かれて安らかに憩われますように。


主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴