2025年12月

 今年の宣教標語(一面御参照)と聖歌(『日本聖公会聖歌集』五三三番「主を愛そう心込めて」)が決まりました。この宣教標語は、定期教区会の主教告辞を基に、宣教活動推進部部長・グループ長の皆さんが聖書のみ言葉につなげて選ぶ聖句です。その聖句を基に、礼拝委員会が今年の聖歌を選曲します。そして信徒や聖職のお一人が宣教標語を揮毫してくださり、標語短冊がクリスマス前には出来上がり、教区報と共に皆様のお手元に送られます。短期間でのすばらしい連携(つながり)と対応に毎年感心させられ、感激し、感謝して受け取ります。
 ここ数年の宣教標語には「道」という言葉が入っている聖句が多く選ばれています。この「道」は、キリストご自身が「道」だと告げられ、また最初のキリスト者たちが「この道に従う者」と呼ばれた「道」です。どの道ですかと尋ねたトマスと同様に、現代の私たちも「主よ、どの道でしょうか」と尋ね続けます。
 恐らくその道は、私たちの想像を越えて与えられる道でありましょう。まるでアブラムとサライが目的地も分からずに決心して出立したあの旅の道のように、また、東方の博士たちが星に導かれて通ってきた道のように、そして同じ道を帰路にすると思っていたら、夢で天の御使いが告げる「別の道」のように、常に新しく未知のものです。当然不安に思います。けれどもこの北の大地で四回目の冬を迎えている今、これまでの新しい出会いや経験の恵みと喜びを思い起こす時、キリストに向かう新しい道を北海道教区の皆様とさらにこれからもご一緒できるなんて、本当に楽しみでしかない、と私は感じているのです。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2025年11月

 去る十月一一日、札幌キリスト教会を会場に「第二六回さっぽろ教会音楽祭」が開催されました。
 この音楽祭は毎年行われる超教派の集いで、全体が礼拝形式でささげられます。上平美奈さん(札幌聖ミカエル教会)の奏楽によるG・ゲラルデスキのロンドの前奏から始まり、聖書朗読、聖歌、祈り、そして各団体の音楽のささげものと続きます。
 実行委員長は、私の主教按手式にも駆けつけてくださった、大学時代からお世話になっている雨貝行麿牧師です。挨拶文で雨貝先生は詩篇一五〇編を引用され、次のように記されていました。「主なる神様は、『息ある者』、ひとが歌うことが大好きです。絶望しても歌うことをしましょう。主なる神さまに祈りましょう。その栄光を賛美しましょう。」さらに、生きていく上での悩みや悲しみ、苦しみ以上に、思いがけないところで主は恵みを与えてくださること、また戦争の惨禍の現実においても平和を祈り求め、歌い祝い、恵みを分かち合うことの大切さを伝え、賛美への励ましを与えてくださいました。
 その言葉通り、二百名を超える参列者は、室内アンサンブル、合唱、また手話賛美を通して、音楽を次々に主にささげ、交わり、祈り、ひとつとなって、礼拝堂いっぱいに賛美を響かせてくれました。聖公会からは札幌キリスト教会と札幌聖ミカエル教会の皆さんが合同聖歌隊を結成し、「ピㇼカ・レラ・モシㇼ」と日本聖公会聖歌集第三九二番「神のみ住まいの麗しさよ」を丁寧に美しく奉唱してくださいました。
 この礼拝の最中、美しさと喜びとは裏腹に、世界にある分断や争い、また痛みや悲しみの現実を何度も思い起こしました。歌うことすらできないでいる人々に主のいやしを祈り求め、神の正義の実現のために器として用いていただけるよう願いました。素朴な神への賛美は決して自己完結するものではなく、むしろ他者へと促す力があるのだと思わされました。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2025年10月

 去る九月十七日、日本聖公会第六十九回(臨時)総会が、管区事務所と各教区事務所をオンラインで結び、開催されました。提出されたすべての議案は可決され、日本聖公会京都教区が伝道教区となることが承認されました。また、西原廉太主教(中部教区主教・立教大学総長)が同日付で任命されたことも報告されました。
 審議終了後、二月以来京都教区管理主教を務めていらした長谷川清純主教からメッセージがありました。そこでは、多くの方々の尽力と祈りによって臨時総会が実現したことへの謝意、今後に向けて京都教区と中部教区の協力、そして主教職を支える体制を築くことの重要性が語られるとともに、大変重い課題についても共有されました。
 すなわち、京都教区で起こった少女たちへの性暴力事件に関して、二次加害の責任により前教区主教が辞職したこと、その後の教区内での協議と決断を経て臨時総会開催に至った経緯、さらに伝道教区となった後も、京都教区が引き続きこの課題に真摯に向き合っていく決意についてでした。
 各教会に届けられている二〇二二年の『H元牧師性暴力事件における京都教区による二次加害検証報告書』において指摘されている課題は、京都教区のみの問題ではなく、日本聖公会全体が受け止めるべき事柄です。そこには、主教制、聖職と信徒の関係、教区・教会形成の構造など、私たちすべての教区が直面する課題が示されています。北海道教区においてもこれを自らの課題として担い、悔い改めを求められている現実から目を背けることなく、大胆に新しい関係性と交わりの姿を皆様と共に模索し続けたいと願っています。
 聖霊よ、来てください。すべてを新たにしてください。 

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴 

2025年9月

 東北教区と北海道教区の新設教区設立・宣教協働の働きを担っている「チーム北国」の現状報告と多くの方々からの思いや意見を伺うために、「チーム北国まなびの会」を各教会で行っています。北海道教区では近隣の教会は決して近くないという地理的状況があることから、地域や分区毎の開催ではなく各教会での実施をお願いしました。そのため、現在チーム北国の広報担当の方々が、五月から九月の間のほぼ毎主日、教区中の各教会をまさに行脚してくださっています。感謝です。主教巡回と同日の場合は私もご一緒させていただいています。
 そこでは一人ひとりと顔と顔を合わせての交わりと質疑応答などによる相互の分かち合いの時間が展開されています。何より自分がいつも通っている教会とは違う、他の教会のリアルに間近に遭遇する機会でもあります。日程調整では、毎週礼拝を実施することが困難な教会の状況に触れ、また九十代、八十代の三名と司祭夫妻とで、大切に丁寧に主日礼拝を守っている姿に心動かされ、さらに他の仲間達と再度訪問するなどの新たな「つながり」も生まれています。そして助けているようで励まされていたり、伝えているようで大事なことに気付かされていたり、小さい集いのようで福音の大きな喜びで満たされていたりするのです。これら心震える喜びの多くは、礼拝をともに経験するからこそ起こります。
 つくづく北海道教区の各教会・伝道所でささげられているひとつひとつの礼拝の恵み深さを思い、神に感謝します。主教巡回によって私が与えられている恵みでもあります。どれほど小さな群れによってささげられていたとしても、その礼拝は人の心を揺り動かす力があり、神の宣教の器としての姿を現すのです。それを美しいと人は言います。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴 

2025年8月

 今年、私たちは戦後八十年という節目を迎えます。あの戦争によって家族を失い、人生そのものが変わってしまった多くの方々にとって、痛みや悲しみが癒えることはなく、「戦争が終わった」と簡単に言い切ることはできません。
さらに、世界の各地では現在に至るまで、戦争や争いが絶えることなく続いており、多くの無辜の人々の命が脅かされています。ガザでは、過去一年十ヶ月の間に六万人以上の方々が命を落としました。現在も多くの子どもたちを含む住民が、餓死の危機にさらされているという現実は、到底看過できるものではありません。また、日本では報道されることすらない戦争や紛争が、世界の各地で今もなお起き続けています。
 聖書における「平和(シャローム)」とは、単に戦争がない状態を指すのではなく、神が創造され、「見よ、良し」と言われた、本来あるべき姿の回復された状態を意味します。だからこそ、私たちはせめて戦争を止めたいと心から願い、祈ります。人間が始めた戦争は、人間の手で終わらせなければなりません。そして神が創られた世界が本来の姿へと回復されるために、教会はその使命を与えられています。この使命の根拠は、神が和解の御業によってこの世界に平和をもたらそうと、今もなお働き続けておられることにあります。
 八十年が過ぎた今も、いえ、むしろ今だからこそ、戦争の愚かさと悲惨さを語り続けておられる方々に、心からの敬意と感謝を捧げます。そして、わたしたちはその方々の声に、沈黙のうちに耳を傾けます。
 そして戦禍により命を奪われたすべての方々のために、深く祈りを捧げます。
 「平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)
 平和は、ただ与えられるのではなく、造り出されるものです。それは忍耐強く祈り、求め、行動することから始まります。北海道教区が、主の平和を造り出す器として用いられますように。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2025年7月

 三月、Bさんから久しぶりにSNSで連絡が入りました。「本日皆さまの力を借りてオープンすることができました。主に感謝です。」逗子のレストランやスパイスカレーの写真が並んでいます。夢を叶えたのです。お祝いのメッセージにすぐに「M先生(敬愛する横浜教区先輩聖職)とお待ちしています」の返事。そうだ、逗子に行こう。でも、いつ?
 二十年程前、東京下町の教会に赴任している折、突然教会に来てご自分の人生を語り出した青年がBさんでした。生きづらさと痛みと悲しみを抱えた青年は、自分を追い込み、何度も挫折し、それでも自分が生きている意味を見出したくて訪ねて来たのです。その後礼拝に出席し、教会の方々とも親交を深め、仕事を見つけ、将来結婚する方とも出会い、洗礼堅信へと導かれていきました。
 洗礼準備の折、洗礼を受けたら自動的に人生が変わると期待していることへの懸念から、つい差し出がましくも洗礼直後にバラ色の人生が待っている訳ではないよと伝えると、彼はそんな私の言葉にも耳を傾けてくれていました。
その後も決して順風満帆な日々ではなかったBさんが夢であったレストランを開業したのです。どんなに嬉しいことでしょうか。首都圏出張の折にM司祭さんがわざわざ車を出してBさんのお店に連れて行ってくださり、逗子行きが実現しました。感謝でした。
 久しぶりのBさんは相変わらず涙もろく、優しく、笑顔でご夫妻で迎えてくれました。地元の教会に今も通い、何より次の主日に堅信予定の妻さんと一緒に力を合わせて、スパイスの効いた美味しいカレーのお店をきりもりしているのです。M司祭ご夫妻との夕食の楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。
 Bさんは言います。「先生に洗礼を受けたら人生が変わる訳ではないよと言われたけれど、やっぱり神様はちゃんとこんな自分を見ていてくれて、いろんな人と出会わせてくれて、そして今があるんです。神様に感謝してもしきれないんです。」世界も社会もそう簡単に変わらなくても、神様との交わりを確かに見出すように彼が変わってきたのでした。心揺さぶられる瞬間でした。主に感謝。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2025年6月

 北海道電力泊(とまり)原発3号機の再稼働に関して、安全対策新規制基準適合の審査書案が提出され、原子力規制委員会はそれを了としました。北の大地に住み始めて3年、大きな衝撃を受けています。
 東日本大震災後、全国の原発が停止しても電力不足にならなかったにもかかわらず、現在東北電力女川原発2号機(昨年十月原子炉起動、十二月営業運転再開)を含めた十四基が全国で稼働しています。今年二月の政府のエネルギー基本計画では、原発事故後一貫して盛り込まれていた「可能なかぎり依存度を低減する」という文言が削除され、再生エネルギーと共に最大限原発を利用する方針へ大きく変更されてしまいました。次世代型の原発建設や原発建て替えの条件緩和も盛り込まれ、二〇四〇年までに国の発電量の二割を原発で賄う目標も立てられています(二〇一六年1.7%、二〇二三年7.7%)。カーボンニュートラル2050に向けての再生エネルギー利用や研究が日本は著しく遅れているとは言え、原発利用は大きな危険を孕んでいます。他にも温排水による海への影響や原発のメンテナンス期間用の火力発電所設置の矛盾、再稼働後の北海道から本州への電力供給への期待など課題は山積みです。
 福島第一原発事故は未だその原因が明確にされていません。どんなに堤防を高くしても、敷地内断層は活断層ではなくとも、海中活断層への不安は拭えません。自然災害は残念ながら次々発生します。原発事故が起きた時には取り返しがつかないのです。今も福島県では2万5千人ほどの方々が自分の家に帰れないままです。その痛みを覚えたいと思います。
 すべてのいのちをつなげてくださる神に信頼して歩むわたしたちは、この北の大地でいのちを選び取っていきます。節電ひとつも大事な選び取りです。そして神の造られたいのちを大切にと共に声を出し続けていきたいと願います。

主教 マリア・グレイス笹森田鶴

2025年5月

 札幌の地下鉄でお米の広告の言葉に目が留まりました。
 「食べらさる。」
 さっぱり意味が分かりません。
 気になって仕方がないので教区事務所で聞いてみました。すると皆さんが次々に教えてくれます。「それは自分がそうしたいわけではないのに、つい食べてしまうという意味です。」しかも「食べらさる」以外にも、「押ささる」、「書かさる」などの別バージョンも豊富にあるというのです。方言には標準語にはないニュアンスの言葉があり、わたしはその一つひとつが愛おしくてしかたがありません。
 「〜さる」という表現は北海道の方言のひとつで、自分の意志を超えて自然にそうなってしまうというニュアンスなのだそうです。「食べらさる」は、そうしたい訳ではないのに、美味しくてついつい食べてしまったという意味で、また「押ささる」は、自分がそのつもりはなかったのだけれどもついはずみで押してしまった、という意味となります。誰かに押された時に、押した人に「押ささった」と言われたらしょうがないかと思うけれども、「押してしまった」と言われたら「ちょっとむかつく」とも教えてもらいました。「押してしまった」には自分の意志が入っていないと思い混んでいたわたしには、驚きの違いでした。「押してしまった」ではむかつかれるのです。
 この度、北海道教区宣教協議会で策定された「北の大地からの呼びかけ」の使命(ミッション)は、「つながる、つなげる、つながらさる」から始まります。自分の意志を超えた「つながらさる」は重要なキーワードです。それは能動でも受動でもない、「中動態」(現代日本語文法にはない)の言葉として、わたしたちの意志を超えてすべてのいのちをつなげてくださる神への敬意や感謝が表現されています。同時に誰一人取りこぼさない神のみ業に信頼する信仰共同体のあり様への願いも込められています。
 「つながる、つなげる、つながらさる」。北の大地、奥深いです。

主教 マリア・グレイス笹森田鶴

2025年4月

アニマ・クリスティ
 キリストの魂が、わたしを清め
 キリストの体が、わたしを養い
 キリストの血が、わたしを酔わし
 キリストのみ脇から滴る水が、わたしを洗い
 キリストの受難が、わたしを強めてくださるように。
 善の源であるイエスよ、わたしの祈りに耳を傾け
 み傷の内にわたしを隠してください。
 すべての悪からわたしを守り
 常に、主を離れることがないように。
 臨終のときには、わたしをみもとに招き
 諸聖徒と共に永遠に主を賛美することができますように アーメン

 これは六年前に亡くなったわたしの父が大事にしていた「アニマ・クリスティ(キリストの魂)」という祈りです。ご葬儀後のご挨拶の中にもこの祈りを入れました。少々古い訳かもしれませんが、わたしは父が常にこの祈りを携帯して司祭職を務めていたことを時折思い出します。先日園長・チャプレン協議会に参加されていた越山健蔵司祭もこの詩を手帳に挟んでいらっしゃいました。同じ東北教区の聖職方の霊性を垣間見させていただいた思いがしました。
北海道教区事務所の階段の踊り場には、「聖痕」という絵(田中忠雄作、一九五五年)が掲げられています。そこにはキリストがご自分の服を開いてトマスにご自分のお腹の痛々しい傷を見せている場面が描かれています。その服を開いている手にも、もうひとつの手にも傷があります。キリストは御復活されてもなお、その傷を傷のままで弟子たちにお姿を現してくださったことの恵み深さにわたしはいつも驚愕します。
 アニマ・クリスティでは、その傷のうちにわたしを隠してくださるようにと祈るのです。わたしたちの痛みや悲しみや傷に深く共感し、またいやしてくださるのはキリストだけだからです。傷のある御復活のキリストが皆さんをいやし、養い、支えてくださいますようにと祈っています。

主教 マリア・グレイス笹森田鶴

2025年3月

 去る二月二二日、第四九回東北教区婦人会総会の開会聖餐式の説教者、また午後のセーフチャーチの学びの会の話者の一人として仙台に行ってまいりました。もう一人の話者は吉谷かおるさん(札幌キリスト教会信徒、管区女性デスク、セーフチャーチ・ガイドラインタスクチーム、チーム・北国コアメンバー)です。
 開会聖餐式には婦人会以外の方々も参列され、午後の東北教区ハラスメント防止・対策委員会との共催の会には五〇名ほどの方々がお集まりくださり、長い時間熱心に耳を傾けてくださいました。婦人会だけではなく、他の組織とコラボレーションしながら、研鑽を積んでいこうとされるそのご姿勢と熱意にわたし自身大いに励まされました。
 今、婦人会や他の女性たちの集まりは大きな岐路にあります。東北教区婦人会では現在三教会のみが加盟教会だと伺いました。北海道教区でも組織の維持という点では非常に難しい状況です。それでも日本聖公会全体に亘る女性たちのネットワークという点で婦人会は類を見ない存在であることは事実です。またGFSも小さいグループでありながらも世界へのネットワークの中で三年に一度世界大会を開催し、各国の聖公会の女性たちへ支援を行っているという独自性を持っています。
 今後この女性たちの貴重なネットワークがゆるやかにでも続いていく方法はないものかとずっと考え続けています。そして役員として悩みながら尽力してくださっている方々のために祈っています。
 仙台での会合を終え、それぞれの行き先に向かう途中、中部教区のマーガレット渋川良子司祭さまが逝去されたとの一報を受けました。婦人会やGFSがずっと願い、支えてくださった女性の司祭按手実現の先頭にい続け、その厳しさも喜びも教えてくださった、女性で日本聖公会の最初に執事按手・司祭按手を受けられた方です。「女性たち」とともに今の歴史を作ってきたことを大切なこととして記憶したいと思いました。

主教 マリア・グレイス笹森田鶴

2025年2月

 教区会主教告辞でも触れましたが、世界の聖公会では現在「セーフチャーチ」への取り組みが積極的に行われています。これは二〇一九年の第一七回全聖公会中央協議会(ACC)の勧告によるものです。すべてのアングリカン・コミュニオンの人びと、ことに子ども、青年、弱い立場のおとなの安全を高めることを目的としています。そのための日本聖公会版のガイドラインが管区のセーフチャーチガイドラインタスクチームによって整備されている最中です。
 教会という場所が誰にとっても安心安全な場所であることは、教会内だけではなく社会的にも期待されていることです。けれども大変残念なことに、教会の中で安全ではない状態が現実に起こります。その背景には、教会の中にある力関係への無自覚さや率直に意見を分かち合うことができない雰囲気、「赦し」への誤解など、どの管区・教区にも当てはまる構造や体質、また考え方があると指摘されています。例えば力関係という時に、聖職と信徒、聖職の中での職位、教会での役職、また先輩・後輩などの年齢・経験、信仰歴の長さ、民族、ジェンダー、SOGI(性的指向Sexual Orientationと性自認Gender Identity)、学歴、経済力、社会的地位などが挙げられます。最初に挙げられた項目では、教区主教が一番力関係について自覚的にあらねばならないということを改めて心します。そして実際に起こっていることに関わり続け、課題とし続けることの重要性を覚えます。
 さまざまな背景をもつ人びとが相互に信頼をもって教会が形成されていく姿は、社会に向けての大切なモデルの提供につながります。そのためには、主の霊によってわたしたちは新しく日々変わっていきたいと、教区に連なるお一人おひとりと共に祈り、学び、聴き合うことが必要になりましょう。皆でセーフなチャーチへと進んでいきたいと心から願い求めます。

主教 マリア・グレイス笹森田鶴

2025年1月

 二〇二二年十一月定期教区会において、東北教区・北海道教区宣教協働タスクフォース(もともと軍事用語であるという理由で後にタスクチームと変更)が「チーム北国」という名前で設置され、両教区の宣教協働と教区再編の課題とヴィジョンを明確化し、ロードマップを一年間検討しました。翌年二〇二三年の教区会においては、チーム北国の二〇二八年教区会までの五年間の活動延長と、構成員拡大が決議され、加えて東北教区・北海道教区宣教協働・教区再編に向けてのミッション・ステートメント二〇二三が採択されました。次のような内容です。
 「今こそ、恵みの時、今こそ、救いの日です。(二コリント六:二b)
私たちが一つになることで目指すのは、多様性を積極的に受け止め、弱さの中で福音を宣べ伝え、行きづまりの中で宣教的視点を転換する福音の実践です。そのために、祈りと協働をもって、東北と北海道の人びとが持つ痛みと喜びを分かち合います。東北教区と北海道教区は、一つの教区となるビジョンを共有します。また、あらゆる分野で宣教協働の取り組みをします。」
 これが昨年二〇二四年教区会においては教区再編から一歩進み、明確に新教区設立に向けてのミッション・ステートメント二〇二四として採択されました。
 二〇二五年は、東北教区の方々との三年後の新教区設立に向けて、具体的な新教区のイメージを信徒・教役者の皆様と共有していく年となります。例えば、新教区名の決定、主教座聖堂の選定、教区事務所機能、また主教巡回や教役者人事異動などについて、これまでの協議に加えて検討していく段階に入ります。多くの皆様のご意見やご質問などを、わたしや教区事務所、また各教会・伝道所の牧師にどしどしお寄せください。チーム北国に必ず伝えます。

主教 マリア・グレイス笹森田鶴