2023年11月

 十月のGFS全国研修会で佐藤百合子さん(東京教区)から、大先輩のヨハネ佐藤信康司祭の旅行記「道東旅行の跡」をいただきました。このような一文で始まっています。
 「念願の道東地方を藤井司祭様のご好意で回ることができました。」
 二〇〇四年八月、旭川で勤務されていた藤井八郎司祭と藤井直さんが、佐藤司祭ご夫妻を三泊四日の車での旅に連れていってくださった記録です。旭川聖マルコ教会から国道三九号を一路北東に進み、北見聖ヤコブ教会の上平仁志司祭とお会いし、網走聖ペテロ教会で司祭になったばかりの松井新世司祭とお会いし、オホーツクの海沿いを南下してウトロへ。知床の自然を満喫した後納沙布岬まで足を延ばし、厚岸聖オーガスチン教会訪問。釧路聖パウロ教会の広谷和文司祭とお会いし、池田を経て帯広聖公会の寺本睦夫司祭にお会いし、日勝峠を経由して夕張、そこから新しくできた高速道路を通って新札幌までの一三〇〇キロ以上の大旅行です。広い広い北海道の各地の教会を巡りながら、雄大で美しい自然に目を見張り、美味しい食事をいただき、大感激したご様子が伝わってくる、信仰の友との大切な旅です。そのすべてをひたすら藤井先生が運転してくださったのです。
 佐藤司祭はこの旅で、東京教区と北海道教区との違いを体感され、「その(教会の)散在の仕方も尋常ではありません。その牧会の苦労たるや想像を絶したものと言わざるを得ません。しかし、そうした現実にも関わらず、北海道の聖職は悲観することもなく悠々と牧会に研修に励んでおられます。」と残されています。この五年後、佐藤司祭は逝去されます。
 今年十月二七日、敬愛して止まない司祭ダビデ藤井八郎先生が逝去されました。前日まで信徒の方に塗油や病者の祈りをし、次の主日の説教原稿も準備し、常に神と人のために働かれ、見事なまでに司祭職を全うされた八十二年のご生涯でした。いつも誰かを同伴して旅をしてくださり、今も新しいいのちの旅を始められています。司祭ダビデ藤井八郎先生のゆえに、神を賛美します。佐藤先生、藤井先生、どうぞ北海道教区を見守ってください。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2023年10月

 九月二三日、大韓聖公会大田教区主教按手式・着座式が天安市で行われ、第八代大田教区主教ティトス金ホウク主教が誕生しました。会場近くには主教按手式を告げるバナーや横断幕が道路脇に設置され、その意気込みや喜びの大きさを垣間見るようでした。日本聖公会の七名を含めた海外からのゲストも七管区一〇数名となり、大田教区の聖職・信徒の方々と喜びをともにできたことは大変感激的な出来事でした。印象深かったのは、按手式の最後に新主教とともに聖職全員でささげられた聖歌の美しい歌声でした。ひとつになった歌声にこれからの大田教区の歩みが象徴されているようで、神様の祝福とお導きを祈りました。
 この度の訪韓では、もうひとつの大事な出会いがありました。
 五年前、日本聖公会での女性の司祭按手二十周年感謝プログラムが東京で開催された折、大韓聖公会から三名の女性の聖職たちがお祝いに駆けつけてくださいました。それは何よりの大きな励ましだったことを思い出します。しかしその三年後、大韓聖公会での女性の司祭按手二十周年の際には、世界的パンデミックの故に韓国にお祝いに出向くことができませんでした。日本聖公会女性デスクから依頼をいただき、ビデオメッセージをお送りしました。神の家族として、また記念の意義を共感する者として、お祝いのメッセージをお届けできたことは大変光栄でしたが、やはりお会いしたかったという思いが残りました。
 この度、主教按手式の次の主日礼拝でお訪ねした全州教会は、日本聖公会二十周年のお祝いに来てくださったお一人、デボラ金ヒヨン司祭が司牧する教会でした。なんというお取り計らいでしょうか。久しぶりの再会に歓喜し、金ヒヨン司祭の丁寧な牧会、そして社会とのつながりを深くもった生き生きとした教会の姿に力をいただき、帰路に着きました。感謝の旅でした。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2023年9月

 四月、植松誠主教さまから、仙台市北山の輪王寺霊園に英国聖公会宣教協会
(CMS)から北海道へ派遣された宣教師ウォルター・デニング司祭のお墓があることを教えていただきました。また二〇一九年四月「主教室より」に掲載されたデニング司祭の墓参についての記事の原稿も送っていただきました。それ以来いつか、いいえ、宣教開始一五〇年の前に、ぜひ墓参をと願っておりました。
 ご存知のように、デニング司祭は一八七四年五月一六日函館の地に到来し、キリスト教伝道を開始、さまざまな方をキリスト教へと導いた方です。江戸時代から続いていたキリスト教禁制の高札が一年前に撤去されたばかりの時代です。キリスト教への理解も乏しく、誤解や不信の言動を浴びながらも宣教活動を展開するには、並大抵の努力や忍耐では実現されなかったことでしょう。それにも関わらず、函館から始まったデニング司祭の伝道は、様々な喜びや困難を経ながら、平取、札幌へと展開されていきます。
 しかし八年後、残念なことに神学的な立場の違いによりCMSから英国に呼び戻され、解任されてしまいます。その後再び来日されますが、北海道でも教会でもなく、仙台の旧制第二高等学校(現東北大学)で英語教師となり、そこで六七年の生涯を終えることとなります。
 夏の強い日差しの中でデニング司祭のお墓を探しました。四年前に他界したわたしの父の埋葬場所でもある仙台基督教会の共同墓地から少し離れた場所に、そのお墓はありました。他の外国人墓地からも少し離れてひとつ、高い杉の木々の間に、十字架もなく、司祭であることも聖公会の文字も刻まれていないデニング司祭のお墓を見つけました。どんな思いで晩年を過ごされ、またどのような意志でこのような埋葬となったのか。一方この方の献身によって今のわたしたち北海道教区の土台が築かれた感謝の思いとが、複雑によぎります。しばらくその場で祈り続けました。暑い日でした。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2023年8月

 新型コロナウイルスが五類へと移行し、ウイルスは変化していないとしても、わたしたちの生活は大きく変わりました。各地で人の出が多くなり、イベントも戻ってきています。一見以前を取り戻してきている様子は、その事自体は大変嬉しいことです。直接親しい方々と会う機会も増え、また食事やおしゃべりも気をつけながら楽しむこともできます。
 北海道教区でも、衛生管理や健康管理は継続し、接触感染の対応はすでに不要であるものの、感染症対策に手洗い、うがい、換気が今後も有効であることを確認しつつ、通常の礼拝や教会活動に移行していくこと、インフルエンザも含め流行期には対策を再度強化することなどの対応となりました。礼拝では聖歌もチャントも以前のように歌われていることでしょう。教会活動も次第に以前の営みを回復しようとしています。そして今、そのひとつの変化から三ヶ月を迎えています。
 わたしが今一番案じているのは、各教会・伝道所の皆さまがくたびれていないかということです。わたしたちは三年間もの間、制限のある生活を余儀なくされていました。行動範囲も活動量も激減していたと思います。そして皆三歳年齢を重ねています。そのために礼拝で歌うこと一つ取っても、高音が以前のように出なかったり声量がなかったりします。教会活動のためにと思っても体が思うように動かなかったり、疲れやすかったりします。突然、全く以前のようにすべてを取り戻すことは難しいのです。
 嬉しいことだからこそ、どうぞ今は皆一緒のリハビリの時期だと捉え、少しずつ新しいことにご一緒にチャレンジするつもりで今はお過ごしください。この地上に生きている以上、心と身体に限界のあるわたしたちが、今優先するべきことを主に祈って識別し、むしろ確かな一歩一歩を歩んでまいりましょう。来年、必ず宣教開始一五〇年の年は訪れます。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2023年7月

 世界経済フォーラムが二〇〇六年以来毎年発表するジェンダーギャップ指数(男女平等の達成のランキング)が発表され、世界一四六ケ国中、日本は昨年の一一六位から今年一二五位と順位を下げ、過去最低となりました。この指数は「経済」「教育」「健康」「政治」の四つの分野のデータから分析されます。G7の中ではもちろんですが、アジア諸国の中でもミャンマーと同様に日本は最下位となっています。ここ数年の総合最下位国はアフガニスタンです。
 SDGs目標達成などへの取り組みが進み、世界中が改善をしている中で、日本の格差解消はなかなか進んでいないようです。日本の強みである教育分野でも女性の高等教育の就学率の低下で四七位に下がり、また経済分野では労働参加率はある程度高いものの、賃金や立場の男女格差などを反映して一二三位、さらに政治の分野においては、衆議院議員に占める女性割合が十%未満、閣僚は8.3%であること、女性の首相が誕生していないことが理由となり、一三八位となっています。この指数の評価算出方法への批判がある一方、少なくとも二十年近く毎年同じ方法で算定されている中での下降傾向は非常に厳しい日本社会の現実を映し出しています。
 ジェンダーとは、生物的な性差に加えられた文化的社会的性別役割を指します。社会通念や慣習の中で作り上げられ、時には偏見とつながる、わたしたちの生活に大きな影響を与えるものです。こどもたちもその姿を見て育ちます。
主イエス様の側には、女性たちが集い、学んでいました。それは当時の社会通念では考えられなかった姿であり関係でした。
 主イエス様が境界を飛び越え、壁を壊して一人ひとりの生き方や命を受け止めてくださったからこそ、弟子集団が自由で平等な関係を構築し、それが教会のモデルにもなっています。いつか教会が日本社会のモデルとなれるようにと祈り願います。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2023年6月

 昨年一四年振りに行われたランベス会議は、当初から三段階で展開されていくことが提示されていました。事前プログラム、ランベス会議、その後の展開という三段階(フェーズ)です。
 事前プログラムのフェーズ1では、参加予定の世界中の主教たちがウェブ会合を通して出会い、交わりを深め、互いの状況を聴き合う時を持ちました。またフェーズ2では、ご存知の通り、実際にイギリスのケント大学に世界中から主教たちや配偶者たちが集まり、一〇日間の祈りと聖書研究、ランベス・コールと呼ばれるテーマ毎の会合・協議が行われました。
 そしてこれからは、ランベス会議フェーズ3が会議後のプログラムとして展開されます。
 まず、昇天日から行われた「み国が来ますように」の世界的な祈りの連帯を経て迎えた今年の聖霊降臨日に、ランベス・コールズが改めて発表されました。これは、フェーズ2のランベス会議で共有され、会議での協議がその後反映され修正が加えられた一〇のテーマ毎の文書です。この度のフェーズ3では、コールのテーマ毎のひとつずつの文書について、期間を区切ってアングリカン・コミュニオン全体で共有し、それぞれの自分たちの状況や物語の中で思い巡らし、実行します。さらにそれを全体に情報として持ち寄って分かち合うということを繰り返していく方法で、コールズのテーマを展開・深化させていこうというものです。
 今年の聖霊降臨日から八月までは「弟子になること」、また九月から一二月
までは「環境と持続可能な開発」がそれぞれの期間中のテーマとなります。その後ひとつずつテーマを取り上げ、二〇二五年一二月までこのフェーズ3は継続されていきます。

主教 マリア・グレイス 笹森 田鶴

2023年5月

 去る四月二十二日、東北教区第九代教区主教フランシス長谷川清純(きよすみ)師が、大いなる喜びの内に誕生しました。
 主教按手式での新主教からのご挨拶で、長谷川清純主教は東日本宣教協働区について、ことにその前段階となる北海道教区と東北教区の宣教協働について言及されました。両教区の信仰の財産としてのキリスト教保育、また教会間の距離があっても信仰で固く結ばれていること、長い冬をやり過ごして復活の新しい命を待つ辛抱強さ、また東日本大震災後の両教区の協働の実践などを挙げながら、著しい過疎化の課題を持つ両教区が持続可能な教区として変革していくという使命を果たしていくことは神様からの委託である、ともおっしゃられました。両教区の宣教協働推進への決意を込めた、力強い、そして北海道教区にとって暖かいメッセージでした。
 すでに先月号で大友宣さんがご報告くださっています様に、チーム北国では、長谷川新主教の五年後の定年の年を両教区の宣教協働のひとつの実りを迎える年と想定しています。始動したばかりですが、五年後はそれ程長い先でもありません。主による交わりですので、楽しいことや喜ばしいことだけではなく、しんどいことや苦しいことも共に分かち合います。けれどもせっかくの春のこの季節、コロナ禍への対応も大きく変化してきています。そのような折、まずは相互に出会っていくことを、長谷川新主教の北海道教区礼拝へのお越しを皮切りに、これからも積み重ねていきたいと願っています。キリストが結んでくれている神の家族との新しい出会いです。どうぞ皆様、この協働の営みを祈りのうちに関心をもっていてくださいますように。そして各教会、各委員会また各活動などの様々な場面における東北教区との出会いと交わりへ、皆様の積極的な企画・実践をお願い申し上げます。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2023年4月

 雪景色の札幌の三月上旬のある日、教会の窓の外を眺めながら、もう春だねえと、ある方がおっしゃるのです。それを聞いたわたしは心の底から驚きました。いえいえ、まだ外には雪がびっしり高く積もり、歩道も朝夕の寒さでつるつるに凍り、最低気温は氷点下です。これを冬と言わずに何というのでしょう。
 けれどもそこにいらした方々は口々に、いえいえ、もうこれは春です、とおっしゃいます。雪が降っても雪かきをしなくて良くなってきたでしょう。昼間の陽射しで歩道が溶け出してぐちゃぐちゃになってきたでしょう、と。厳しい寒さと雪の中にあっても小さな変化を読み取り、先に向かって喜びと希望を語るその方々の姿に、わたしは再び驚くと同時に、強く励まされる思いがしました。確かに最近教えてもらった根開きも、あちこちで目につくようになり、周囲をじっくり観察すると春はもう来ているのです。
 北の大地に住んでいると、春が待ち遠しいと自然に強く思います。今年は春が早くやって来たと誰もが嬉しそうに語ります。しかしそこにたどり着くのは長い冬を経なければなりません。厳しい自然の中で生き抜く知恵と忍耐、今は何も生み出さないような冷たい雪に覆われているけれども春は必ずやって来るという確信と希望、雪が溶け出すことで隠れていたものがすべて顕わになっていく過程を受け止める強さと柔軟さ。まるで神様との関係を問われているような時間が流れていきます。
 寒さだけではなく、この三年以上のコロナ禍で、わたしたちはずっと体を強張らせて過ごしてきました。失ったものが大きすぎて、振り返ると涙と痛みと悲しみで覆われそうです。けれども春が必ずやってくるように、少しずつその状況から抜け出せる時はやって来ます。そしてこれまでとは違う新しい世界へと、わたしたちはすでに歩みだし始めています。そこにご復活のキリストが待っていてくださることを、切に祈り求めます。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2023年3月

 東京聖三一教会の管理牧師を二年間務めておりました時、大斎節中の大事なミッションがあると告げられました。それは教会の敷地内にある棕櫚の木の葉を箱詰めにして北海道教区に送るというミッションでした。寒冷地の北海道では棕櫚が育たないために、復活前主日の棕櫚の日曜日に用いる棕櫚が手に入らないから毎年お送りしている、というのです。なるほど子どもの頃に育った東北教区でも、棕櫚ではなくソテツで十字架を作って礼拝に用いていた記憶があります。牧師であった父は鉢植えの棕櫚を大事に家の中で育てていましたが、ほんの小さな木でしたので到底礼拝に用いるだけの葉の数にもなりません。けれども東京の暖かさの中で、棕櫚はむしろ強健でどんな条件の土地でも次々と芽を出し、まっすぐに何メートルもの高さとなり、大きな葉を生い茂らせます。
 その高木にはしごを使ってよじ登り、葉を落として水洗いし、新鮮なままで到着するようにと箱に詰めて送ります。北海道ほどではありませんが、大斎節はまだまだ寒い時期の外での作業です。なんと手間をかけてもらって大事に遠方に送られていく棕櫚の葉だろうと思いました。そしてその棕櫚を喜んでくださる方々のために、毎年一生懸命棕櫚と格闘してくださる信徒の方々を誇りに思ったものでした。
 今年からは受け取る側です。心して、有り難く頂戴し、北海道の各地の教会で用いさせていただきます。棕櫚の葉を通して与えられている祈りの交わりに感謝します。
 灰の十字架のしるしをいただく大斎始日から始まり、一層復活日に備えて心を傾ける聖週にわたしたちは突入しようとしています。闇と冷たさに包まれた長い長い冬を終えようとしているこの季節、キリストのご受難とご復活の神秘を、聖週ことに聖なる三日間の礼拝でひとつひとつなぞっていきます。そしていよいよ春の暖かさに包まれるかのような喜びのご復活日を迎えるのです。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2023年2月

 
 今年、大事な礼拝や行事がいくつも行われます。
 2月には第18回全聖公会中央協議会(ACC)がガーナで開催され、管区代表として吉谷かおるさん(札幌キリスト)が参加されます。昨年のランベス会議とも関連した世界規模の課題が協議されます。
 東北教区では4月22日、フランシス長谷川清澄主教被選者の主教按手・教区主教就任式が執り行われます。聖霊のお導きを心より祈り求めます。わたしたちも新主教を迎える東北教区との宣教協働・教区再編へ一歩進みます。
五月には恒例の北海道教区宣教開始記念礼拝(149年)が行われます。この永き時を神様がお導きくださった幸いをともに感謝し、祝いたいと願っています。日程は決まり次第お知らせします。
 7月25日〜28日には聖公会保育者連盟全国保育者研修会が函館大沼で開催され、200名近い方々を全国からお迎えします。各園の園長先生やチャプレンの皆さんが準備を担ってくださっています。感謝です。ご加祷ください。
8月31日〜9月3日、全国青年大会が七年ぶりに東京神田で開催されます。北海道からもぜひ青年たちを送りたいと願っています。わたしも担当主教として参加します。
 11月10日〜13日は日本聖公会宣教協議会が清里清泉寮で行われます。北海道教区から八名の代表者が参加します。宣教の五指標、これまでの各教区での宣教の実り、これからの宣教課題を分かち合い、語り合います。またその内容を教区へ持ち帰り、各教区の宣教の活性化へとつなげていきます。
 日々の信仰生活がわたしたちのベースであることは当然ですが、これらひとつひとつの営みも丁寧に過ごしつつ、北海道教区は来年宣教150年をいよいよ迎えることとなります。楽しみでもあり、身の引き締まる思いでもあります。この重要な時を、北の大地における神さまの平和と愛の実現のために、皆さまとご一緒に主の御用に加わる恵みに心が震える思いです。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

2023年1月

 東北生まれの東北育ちでも、北海道の冬はさすがに想像を越えています。北海道に住んでいらっしゃる方にとっては当然の生活の知恵が、驚くほどわたしにも夫にもないのです。身支度もさることながら、雪の時期には車にスコップや雪用長靴、毛布などを搭載するとは思いもしませんでした。そのような具合ですので、皆さまに心配をしていただきながら、寒さや雪への対策について日々学び、経験しています。
 そして一二月。網走・北見へ向かう列車の窓からは、札幌ともまた違う豪雪
地帯の様子を眺め、湖も凍る寒さを経験し、帯広ではスケートリンクのような道路や歩道がたった一晩で一面真っ白に変化する様子にただただ驚き、岩見沢では園バスが出られなかったと伺い、それぞれの教会や園での除雪のご苦労に
も少しだけ触れました。クリスマス寒波では、ことに紋別が豪雪のために幼稚園が休園となり、その後全市が停電し、越山健蔵先生が二日間も避難所生活を余儀なくされました。停電は災害ですので寒さも心配しましたし、その後の電気や道路の復旧があって安堵いたしましたが、何より驚いたのは、それらの大変さは大変さで、次の日は普通に皆さん生活しているということでした。北海道に住む皆さんの、冬の自然の厳しさへの覚悟やたくましさ、また最後は神さまにお任せしている姿を垣間見させていただいているようでした。
 この北の大地に点在している教会・伝道所で、聖職や信徒の皆さんが礼拝前の除雪に汗を流し、訪れる方の足を守り、コロナとも闘いながら教会の営みを続けてくださっていることは、皆さんにとっては当然のことかも知れませんが、それ自体すばらしい宣教活動であり、大きなことです。感謝でしかありません。
 この原稿を皆さんが読んでいらっしゃる頃にはもっと寒く雪も多くなっているかも知れません。教会の行き帰り、また普段の生活の中でも、どうぞくれぐれもお気をつけてお過ごしください。皆さまのために祈っています。わたしも美しい冬の北海道の季節を楽しみながら過ごします。

主教 マリア・グレイス 笹森田鶴